安土桃山時代にあったとされている謎の葬儀の習俗が本当に存在したか否か (1/2ページ)

心に残る家族葬

安土桃山時代にあったとされている謎の葬儀の習俗が本当に存在したか否か

安土桃山時代、日本を訪れた西洋人による記録は残っているが、同時代の日本人による記録がない、「当時の日本人の習俗」は、幾つかある。この種の「当時の日本人の習俗」については、大きく分けて3つの可能性が挙げられる。

■3つの可能性とは?

(1)「当時の日本人」にとっては、「常識」であり「ごくごく普通のこと」であった。そのため、わざわざ記録するようなことではなかったので、記録が残されなかった。
(2)異なる文化圏出身の記録者が勘違いをしてしまい、結果として、実像とは異なる「当時の日本人の習俗」を記録してしまった。
(3)記録者が、読者として想定される母国の人々を面白がらせるため、現代風にいえば「単なるネタ」として書いた。

これらの3つの可能性は、戦国時代末期〜江戸時代初期の、特に西日本の一部の大名の葬儀についての、ルイス・フロイスやリチャード・コックスといった来日西洋人の記録にも該当する。その記録に、「亡くなった藩主が火葬される場合、特に彼と近い関係の家臣や友人が、自分の指を切って火葬の火に投げ込む」というくだりが出てくる。

このような上流武家の社会での、主君への殉死の記録は多くの場合、同時代の日本人によっても書かれている。しかし、こうした「指先を切り落として火葬の火に投げ込む」というしきたりについては、全くと言ってよいほど、同時代の日本人による記録がないのであった。
そこで、先程の3つの可能性は、この「指先切り落とし」に当てはまるのか、という問い直しが必要になる。

■(2)と(3)の可能性は否定できない

まず(1)のケースが当てはまるかというと、甚だ怪しい。なぜなら、「一部の地域の藩主と、彼とより近い関係の家来や友人」という、あくまで「当時の日本人」のうちの極めて少数の人々にとっての「常識」であったからである。
また火葬も、当時は基本的に相当な高位の人々向けの葬法であり、大名家であっても、火葬率と土葬率が約半分ずつ程度であった。そうしたことから考えても、「ごくごく普通のこと」のカテゴリーには、入らないであろう。

一方、(2)や(3)の可能性はどうだろうか。結論からいうと、これらの可能性はあり得る。

「安土桃山時代にあったとされている謎の葬儀の習俗が本当に存在したか否か」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る