PPAPの元ネタは荒井注!?「昭和の爆笑ギャグ」プレイバック (2/5ページ)
小噺の合間に「どーもスミマセン」「もう大変なんすから」とギャグを挟んで爆笑を取り、受けなかったら“このネタのどこが面白いかと言いますと……”と笑いが起こるまでギャグをたたみかける。
「おそらく、三平兄(あに)さんは昭和が生んだ最大のお笑い芸人。兄さんが出ると客席が、いつも爆笑で揺れてました」(ベテラン噺家)
同時期に人気を博したのが三遊亭歌奴(現・円歌)。三平と同じく、古典落語にとらわれず、新作落語『授業中』での「山のアナアナ」で爆笑を誘った。
59年にコントでブレイクしたのは脱線トリオの由利徹、八波むと志、南利明。由利の「チンチロリンのカックン」は、「オシャマンベ」と並ぶヒットに。
寄席や演芸場から人気者が誕生する一方、ジャズ畑からもスターが現れる。61年に『スーダラ節』が大ヒット。スターダムに駆け上がったのが、ハナ肇とクレージーキャッツ。
日本テレビのバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』では、植木等の「お呼びでない?お呼びでない……こりゃまた失礼いたしました!」がお茶の間に炸裂した。谷啓は「ガチョーン」「ハラホロヒレハレ」など、ミュージシャンならではの擬音ギャグを量産。リーダーのハナ肇も、『巨泉×前武のゲバゲバ90分』(日本テレビ)でヒッピーに扮しての「アッと驚くタメゴローッ」が大当たりとなるなど、スタジオ狭しと大暴れ。
昭和文化研究家のミゾロギ・ダイスケ氏が説明する。「クレージーは、音楽や映画のヒット作を連発し、それが後年、CDやDVD化されました。当時を知らない世代のファンも多いんです」
さらに『シャボン玉~』では、名物コント「キントト映画」にて、なべおさみ扮する監督が助監督の安田伸を「ヤスダーッ!」と叫んでメガホンで引っぱたくギャグを忘れちゃなるまい。
また、構成作家から出演者に転じた青島幸男が「青島だァ!」と見得を切るのも革命的だった。「まだテレビ制作が暗中模索の時代、裏方が画面に露出するのは斬新でした。青島さんは放送作家、タレント、俳優としてだけではなく、映画監督、小説家としても評価され、国会議員、都知事にもなった。