PPAPの元ネタは荒井注!?「昭和の爆笑ギャグ」プレイバック (3/5ページ)
不世出のマルチ人間と言えるでしょう」(ミゾロギ氏)
当時、日曜の夜は6時から『シャボン玉ホリデー』を、6時半からが関西発のコメディ『てなもんや三度笠』(朝日放送)を見るのがお笑い好きの常識。藤田まことの決め台詞「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」、「耳の穴から手ェつっこんで奥歯ガタガタいわしたろか」が全国区になり、財津一郎はエキセントリックなハイトーンで「ヒッジョーにキビシィー!」と叫んで人気者になった。白木みのるなど喜劇人相手に、役者陣が芸人と拮抗するギャグを放っていたのだ。
一方、63年スタートの『大正テレビ寄席』(NET)には人気芸人が続々登場。司会の牧伸二はウクレレ片手に時事漫談で笑わせ、「♪あ~あんあ、やんなっちゃった、あ~んあんあおどろいた」と歌った。獅子てんや・瀬戸わんやは「ピッピッピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァ」を何度も繰り返し爆笑を取った。
てんぷくトリオの三波伸介は「びっくりしたなぁ、もう!」。横山ノック、フック(青芝フック)、パンチ(上岡龍太郎)の漫画トリオは「パンパカパーン、今週のハイライト」。唐草模様の風呂敷を背負った栃木訛りの東京ぼん太は「夢もチボーもない」と、“田舎っぺキャラ”が大ウケした。
「最近では、つぶやきシロー、U字工事などもいますが、いつの時代も訛りがウリの人気芸人が出てきます。もっとも、“頑張れ、強いぞ、ぼくらのなまか ~”の東八郎さんも訛ってましたが、あれはキャラ。東京・浅草の出身です(笑)」(演芸プロデューサー)
同じく浅草芸人で、走ってドツいて飛び蹴り連発、テレビのフレームに収まりきらない動きで、昭和40年代に全国区となったのがコント55号。萩本欽一は「なんでそうなるの!」と“欽ちゃんジャンプ”し、坂上二郎は両手を飛行機に見立てて「飛びます! 飛びます!」で、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ。
「野球拳で人気を呼んだ『裏番組をブッ飛ばせ!!』(69年、日本テレビ)は低俗だと叩かれましたが、文字通り裏番組のNHK大河『天と地と』を猛追する番組に」(ミゾロギ氏)
一方、テレビドラマを経て、69年に映画第1作がお目見えしたのが渥美清の『男はつらいよ』。