金正恩氏「粛清の思い出」とセンチメンタルジャーニー (2/2ページ)

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さらに12日に開かれた国家安全保衛部特別軍事裁判で死刑判決が下され、張氏は無慈悲に即時処刑された。金正恩氏は、北朝鮮史上に残る粛清劇を三池淵郡の訪問で決意し、この時から彼の恐怖政治が本格化したと筆者は見ている。

実は、この粛清劇の前の2013年8月あたりから、もともと太目だった正恩氏の体型は急激に変化していた。後に明らかになることだが、同時期に北朝鮮の芸術関係者に対して「ポルノ疑惑」がもたれ、粛清がはじまっていた。そして、この粛清の波が三池淵郡訪問時の「重大な決意」を通じて、張成沢粛清劇につながったと見るべきだろう。

金正恩氏が、粛清という刀を振り回し暴走しはじめた時期と、急激に肥満度が高まる時期が一致するのは偶然とは思えない。恐怖政治を激化させる中で、なんらかの猜疑心やストレス、プレッシャーにさいなまれたことが極度の肥満をもたらした可能性は充分にある。

さらに、金正恩氏の恐怖政治の波は北朝鮮軍にも及ぶ。2015年4月には玄永哲元人民武力部長(国防相)が、平壌郊外の姜健(カンゴン)総合軍官学校で高射砲で公開処刑された。高射砲とは事情通によると、「1発でも当たれば、人体の一部が吹き飛ぶ。発射速度の速い機関銃で打てば、粉々になり原形をとどめないだろう」と言うほどの恐るべき銃火器だ。正恩氏は、金日成・正日氏と比べてもより残虐な処刑方法で恐怖心を植え付けようとしている。

金正恩氏が、12月を直前にして大粛清の出発点であり、恐怖政治の故郷ともいえる「三池淵郡」を訪れたのは、なんとも意味深だ。そうでなくても、正恩氏にとって12月は金正日氏が逝去し、金正恩体制が発足した特別な月である。彼の最初で最大の実績といえる長距離弾道ミサイル銀河3号の発射が成功したのも2012年12月12日だ。

今回の「革命の聖地」巡礼をきっかけに、またもや新たな粛清劇がはじまるのだろうか。それとも米韓をはじめとする国際社会にむけて何らかの挑発をしかけるのだろうか。そうでなくても「崔順実ゲート」をめぐり朴槿恵政権は混乱し、米国ではドナルド・トランプ氏が大統領に当選するなど、北朝鮮が最も対立する両国の今後の対北政策は未知数だ。

金正恩氏が、革命の聖地であり恐怖政治の故郷でもある三池淵郡を訪れたのは極めて不気味であり、次の一手が注目される。

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