金正恩氏「粛清の思い出」とセンチメンタルジャーニー (1/2ページ)

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金正恩氏「粛清の思い出」とセンチメンタルジャーニー

金正恩党委員長の行動が先月から活発になっている。11月の現地指導の回数は実に10回。3日に一度のペースであり、うち9回が朝鮮人民軍(北朝鮮軍)関連だった。毎年11月から翌年5月まで行われる北朝鮮軍の冬季訓練にあわせたものと見られる。

金正恩氏のゴムボート写真

冬季訓練は、中隊級(約150人)の小規模からスタートする。年を越して3月には陸・海・空や特殊部隊が参加する国家級の大規模訓練につながる。そして、この訓練を通じて戦闘力が高まり、挑発を行ってきた。

2010年1月には海上の軍事境界線であるNLL(北方限界線)側に向けて400発の海岸砲や自走砲などを発射した。同年3月26日には韓国哨戒艦「天安」撃沈事件を引き起こし、11月には延坪島を無差別に砲撃した。

11月13日付の朝鮮中央通信によると、金正恩氏は南北軍事境界線に近接するカルリ島と長在島(チャンジェド)の防御隊を視察し、わざわざゴムボートに乗る姿を公開した。この視察では「延坪島火力打撃計画戦闘文書」を承認している。この文書が具体的にどのような内容なのかは不明だが、誰が聞いても6年前の延坪島砲撃事件の悪夢を思い起こすだろう。

「高射銃」で人体が跡形もなく

そして、11月最後の現地指導は、軍関連ではなく金正恩氏が大粛清を決意した場所だった。

北朝鮮の国営メディアである朝鮮中央通信は28日、金正恩氏が両江道(リャンガンド)三池淵(サムジヨン)郡を現地指導したことを報じた。

白頭山の麓である三池淵郡は、金日成主席が日本統治時代に抗日闘争を繰り広げ、金正日総書記の出生地とされている。正日氏の実際の出生地は旧ソ連(現ロシア)であり、ねつ造に過ぎないが、同郡は北朝鮮にとって「革命の聖地」だ。

ただし、金正恩氏にとって三池淵郡は「革命の聖地」以上の重要な意味を持つ場所だ。今から3年前の2013年11月、金正恩氏は三池淵革命戦跡地を訪れ、白頭山を眺めながら重大な決意をしたとされている。その重大な決意が明らかになるのは12月に入ってからだ。同月8日に開かれた朝鮮労働党政治局拡大会議で、当時ナンバー2として権勢を振るっていた張成沢氏が全ての役職から解任され党から除名される。

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