プロレス解体新書 ROUND29 〈最初で最後の直接対決〉 猪木が見せた前田への気遣い (2/2ページ)

週刊実話

両者ともに後継候補と見られていたものの、猪木の中では明確な格付けがあったことがうかがえます」(プロレスライター)

 では、やはり猪木の後継者と目されていた前田日明についてはどうだったか。UWF軍として新日に参戦してからは、猪木vs前田のシングル対決が待ち望まれながらも、結局、実現には至っていない。
 「これは、のちの猪木の引退試合で、小川直也との対決が実現しなかったことと似た意味があると考えられます。ラストマッチで有終の美を飾るためには、いかにファンの期待が大きいとはいえ小川とやるわけにはいかなかった」(同)
 つまり、“引退する自分が、将来、有望な小川に土をつけるわけにいかない”との猪木の親心により、両者の対戦が組まれなかったというわけだ。

 前田に対しても同様だった。あの当時、まだ興行での集客やテレビの視聴率を考えれば、猪木がトップを張っていかねばならなかった。よって前田とやるなら猪木が勝つしかないのだが、そうすれば前田の経歴に傷をつけることになる…。
 「以前から『猪木が前田を恐れて対戦を避けた』との声もありましたが、今になって振り返ればそれは違うように思います。前田はあのいわくつきのアンドレ戦でも、攻め込む前に『やっちゃっていいんですか?』と、リングサイドにうかがいを立てているし、試合中のアクシデントで藤波が大流血に至ったシングル戦でも、あえて両者KOで早めに試合を終えている。また、猪木への挑戦者決定戦でも藤原喜明に勝利を譲ったように、むしろアングルに忠実な選手であり、それが猪木戦だけ豹変するとは考えづらい」(同)

 唯一、行われた猪木vs前田のシングル戦を見れば、猪木がいかに前田を大切に扱っていたかということがうかがえる。
 1983年5月27日、高松市民会館で行われたIWGP決勝リーグ戦。日本勢では長州も藤波も、団体ナンバー2の坂口征二もエントリーされなかったリーグ戦に、前田は特例的な“欧州代表”なる枠で大抜擢された。
 シングルマッチの連戦は選手にとって肉体的なダメージが大きく、絶対的エースの猪木としては、若手の前田が相手の地方大会での一戦となれば、軽く流して終わらせたいところ。だが、この試合で猪木は、当時の前田が武器とした“七色のスープレックス”からニールキックまで、得意技のすべてを受けきってみせた。
 「猪木がジャーマンやドラゴンスープレックスを受けること自体が、めったに見られることではない。そのことだけでも、いかに前田の能力を買っていたかが分かります」(同)

 フィニッシュも立ち上がり際の延髄斬りという、いわば一瞬の返し技であり、そこにも前田になるべく傷を付けないように、という配慮がうかがえる。
 相手を潰すばかりではない“指導者”としての猪木の一面がうかがえる、これも一種の名勝負と言えよう。

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