「ミスター・長嶋茂雄」を育んだ佐倉ものがたり(8)父・利が最期に遺した言葉 (2/2ページ)
「野球をやるなら、東京六大学で一番の選手になれ。プロ野球でも一番の選手になれ。富士山のような日本一の選手になるんだぞ」
茂雄は頷き、泣きながら父の手足をさすったが、徐々に冷たくなっていった。
武彦によると、利の病気は、高血圧が高じた心臓肥大症。近所の医者に診てもらうと、血を抜く処置しかしなかった。
親友の小林が振り返る。
「枕元に駆けつけた茂雄ちゃんを見てびっくりしました。連日、砂押監督から千本ノックを受け、ガリガリに痩せていました。思わず『大将、だいじょうぶか』と聞いたくらいです。佐倉では出棺後、餅を搗(つ)いて食べる風習があるんですが、茂雄ちゃんは『新人戦があるから』と、臼井駅に向かいました。長女の春枝さんがホームで大泣きしていたのを覚えています」
長源寺の葬儀に参列した人たちは、ちよのことを心配したが、終始気丈だった。
「どんなことがあっても、茂雄は絶対に大学を卒業させます‥‥」
ちよの行商は、葬儀の翌日から巨人入団の日まで、毎日つづくことになるのである。
松下茂典(ノンフィクションライター)