人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第49回 (2/2ページ)
イキのいい主計官が「上越新幹線は黒字が見込めません」とオズオズ口にすると、田中は「君、それは大丈夫だ。心配はないッ」と全く聞く耳を持っていなかった。それはそうである。田中は大蔵大臣時代、すでに大蔵省を“掌中”にしており、事務次官以下幹部は「田中政治」を容認していたからであった。
結局、この田中における「新幹線9千キロ構想」は先の運輸省の「全国新幹線鉄道整備計画要綱」を敷衍する形で、先週記したように昭和45年5月に全国新幹線鉄道整備法として成立、公布を見ることになったということである。
そうした中での昭和46年6月、5期目の幹事長として田中は参院選での指揮棒を振るった。佐藤首相はこの参院選直後に第3次内閣の改造と党役員人事の異動に踏み切った。自民党は改造前からわずか1議席下回っただけだったが、あえて田中の幹事長を外し、通産大臣として入閣させた。
この佐藤首相の改造人事の裏では、この時点ですでに自民党総裁「4選」を果たしている佐藤の「5選」なし、が党内の既定路線となっており、「ポスト佐藤」への佐藤の“胸中”が透けて見えた。
当時、党内の「ポスト佐藤」有力候補は、勢いをつける田中角栄と安定感と人望のある福田赳夫の、「動」「静」2人というのが大勢であった。その上で、「佐藤の“意中”は福田ではないか」という見方も少なくなかった。しかし、この人事で福田を引き上げ、田中を干すことになれば反発を買い、政権としての最後の仕上げ「沖縄返還」を退陣の花道としたい政権運営にカゲが差しかねない。
ために、佐藤首相はここでまた「チェック・アンド・バランス」の人事の妙を発揮、政権「3本柱」のもう1人、保利茂を幹事長に据え、福田を外務大臣、田中を通算大臣に起用して相競わせる形でバランスを取ったのだった。通産相となった田中の横顔を、当時の『毎日新聞』はおおむね次のように報じている。
「夏冬、人前を問わず、バタバタとセンスを使う。本会議場でもこの人の周辺が一番ザワついており、本人の独特のシャガレ声がひときわ耳に飛び込んでくる。総裁ダービーのスタートラインに立ちそうな中で、一番行儀が悪い。これまでの総裁候補としては、何とも型破りの部類だ。
一方で、エリート官僚の牙城、大蔵省に乗り込んでニラミを利かしたあたり、ナミの政治家にできる芸当ではない。本人が一番好きな人物だという上杉謙信に相通じる戦略に、越後人の“血のたぎり”があるのかもしれない。総裁ダービーではどんなコースを取って出てくるか、その動きは今後の政局の最大の見どころ」
田中の「天下取り」への決戦場は、いよいよ目前に迫ってきた。(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。