【プロ野球】ノムさんの歩んだ道に咲いた月見草の子どもたち。「野村再生工場」のオールスター選手を総まとめ

野村克也氏(元南海ほか)といえば、選手としては戦後初の三冠王に輝いたほか、歴代2位の本塁打記録(657本)を持ち、監督としても4球団を指揮して3度の日本一になるなど輝かしい経歴を誇る大スターだ。
野村氏が采配をふるった各球団では、移籍やコンバート、助言などによってブレイクや復活を遂げた選手たちを数多く輩出。そんな「野村再生工場の傑作」とも言うべき選手たちを紹介しよう。
※野球の見方が変わるスマホマガジン『野球太郎Pocket』と『週刊野球太郎』でニュースやコラムが読み放題!
■南海監督時代(1970年~1977年)
江本孟紀
東映(現日本ハム)から移籍してきた1972年、野村監督はプロ未勝利だった江本孟紀に期待を込めて背番号16を与えた。発奮した江本は同年に背番号と同じ16勝を挙げた。
山内新一
巨人から移籍してきた1973年、野村監督の助言によりスピードよりコントロールを重視した技巧派に転向。いきなり20勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。
江夏豊
阪神から移籍2年目の1977年、野村監督の「野球界に革命を起こそう」という口説き文句で、当時は地位が低かったリリーフ投手へと転向。現在の投手分業制の礎を築いた。
■ヤクルト監督時代(1990年~1998年)
飯田哲也
元々は捕手での入団だったが、野村監督の指示で外野手へ転向。1991年から7年連続してゴールデン・グラブ賞を受賞した。
田畑一也
1996年にダイエー(現ソフトバンク)から移籍。ダイエー時代は2勝しかしていなかったが、2年連続で2ケタ勝利をマーク。人呼んで「野村再生工場の最高傑作」。
小早川毅彦
広島から戦力外通告を受けてヤクルトに移籍した1997年、開幕戦で巨人のエース・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放ち、リーグ優勝への勢いをつけた。
■阪神監督時代(1999年~2001年)
遠山奬志
ロッテから阪神に復帰2年目の1999年、野村監督の助言でシュートを取り入れて中継ぎで活躍。カモにしていた松井秀喜(当時巨人)に「顔も見たくない」と言わしめた。
伊藤敦規
横浜から戦力外通告を受け、阪神に移籍。野村監督時代の2000年、37歳にしてリーグ最多の71試合登板を果たす。
■楽天監督時代(2006年~2009年)
鉄平
中日から移籍してきた2006年、1年目から打率.303をマーク。2009年には首位打者を獲得し、球団史上初のCS進出に貢献した。
山崎武司
オリックスから移籍3年目の2007年、野村監督のもとで培った「配球の読み」が花開き、本塁打王と打点王の二冠に輝く。その後も楽天の主将としてチームを牽引した。
文=サトウタカシ (さとう・たかし)