最初から片道切符だった。宇宙飛行に初めて行った犬、ライカにまつわる10の悲劇 (5/7ページ)

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・4. 悲劇的な死


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 ミッションから数年間、ソ連はライカが宇宙での初日を生き延びたと主張していた。ライカは地球軌道を数日漂い、最後は薬入りの餌を食べて安らかに息を引き取ったのだ、と。

 だが2002年に真実が明らかになる。科学者の1人であったディミトリ・マラシェンコフがライカの死は凄絶なものであったことを暴露したのだ。ライカは7時間以内に、地球軌道の4周目のどこかの時点で凄まじい苦痛の中死んだのだそうだ。

 急ごしらえで作られたスプートニク2号の温度コントロールシステムは故障していた。船はどんどん暑くなり、すぐに40度を超えると、さらに地獄のような暑さに変わって行った。無重力になって落ち着き初めたライカだったが、再びパニックに陥った。

 地上での訓練では、ライカがストレスを受けたときに落ち着かせる係がいた。だが、今や科学者たちは計器を見つめることしかできない。心拍数は上昇を続け、やがて鼓動が検出されなくなった。・3. 再突入でばらばら


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 5か月後、地球を2,570周したスプートニク2号はライカの棺となって地球へと降下した。そして世界中の人々が見守る中、空に筋を残した。アメリカではちょっとしたパニックまで発生している。

 「1958年4月14日、午前零時過ぎ、アメリカ東海岸に沿って、信頼性の高い情報筋からUFOの目撃が報告された」と報じられている。「目撃者の話では、青白い明るい物体が空をとんでもない速さで横切っていたという。
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