『1984年のUWF』を読んで:ロマン優光連載76 (3/5ページ)
私は現実の試合を一試合も見ないまま、第一次UWFの虜になっていたのだ。あの頃のターザンの文章はそれぐらい力があったし、素晴らしいものだったのだろう。それが、山本隆司の手による記事だということは私は意識していなかったのだけど。私はUWFという概念に夢中だった。私が第一次UWFに夢中になった要因をあげるとしたら夢枕獏の存在であろう。『キマイラ・シリーズ』の愛読者だった私は当然のように『餓狼伝』を手にとり、そこに色濃く反映されていた「打・投・極」ではじまるUWF思想にまるっきりやられてしまった。初期の『餓狼伝』はUWF思想の本当に優秀なサブ・テキストだったのだ。
第一次UWFが崩壊し、新日本のリングに前田や高田、藤原があがってテレビマッチに映るようになると、新日勢との噛み合わない(あるいはそのように見える)試合に私は狂喜した。「キックや関節に対応できない新日勢、それは彼らが弱いからだ。」と素直に思っていた。『1984年のUWF』に登場するU信者と同じように「プロレスという枠の中でわざと負けさせられてる」と思っていたし、なんなら「プロレス最強とか言っていたくせに強者に八百長を強要する猪木たち権力者は汚い。」と思っていたぐらいだった。勝敗は決まっていても過程での本物の強さを見ようとしていた。まあ、そうやって見てるうちに気付いたのは「坂口が本当はめちゃくちゃ強いのでは。本物の柔道エリートは違う!」ということだったのだけど。
そして第二次UWFの旗揚げ。最初は夢中だった。だったのだけど、徐々に冷めていった。時代の寵児となった第二次UWFの感じが肌に合わなかった。私が前田日明から感じていたのは反骨精神であって、時代の最先端とかどうでもよかった。ターザンの書く「密航」という言葉に吐き気がした。何よりビデオによって実際に見れる試合がつまらなかった。おかしいなと思う試合もあった。全試合がリアルファイトではないのだなと思った。あと、音楽の方に夢中になる時期とも重なり、プロレスから一時的に離れるようにもなった。
気付いたら第二次UWFは解散していた。Uインターはプロレス、リングスと藤原組はリアルファイトとプロレスは混ぜてると思っていた。生まれて始めて、私のリアルファイトに対する読みが当たったのかもしれないが、別にどうでもいいことだ。