バラエティか報道か?沖縄基地建設を放送した『ニュース女子』問題|久田将義コラム (2/3ページ)

東京ブレイキングニュース

 ある問題が起きた時、色々な要素を混同してはいけない......という原則に従えば、「高江反対運動の報道の在り方」と「お詫び広告を載せた東京新聞と論説副主幹長谷川氏の立ち位置」について分けて、論じるべきと考える。

 ここでは、東京新聞のお詫び記事に関して考察してみたい。まず、長谷川氏が一ジャーナリストとして、新聞社の方向と違っていようがそれは氏の自由だという事だ。ちなみに東京新聞は僕が政治経済専門の会員制雑誌「月刊選択」編集部に在籍したころ、記者の方たちにはかなり健筆をふるっていただいたのと、話していて「感じの良い」記者が多かった(反対に朝日新聞や読売新聞の特に政治記者は、ちょっと雰囲気が異なる。言ってしまえばプライドが高い)。

 長谷川氏は、ご自身の肩書「東京新聞論説副主幹」というものによって、テレビのオファーが来ていたはずである。氏と同席した有識者によると喜々としながら「テレビに出ると講演が舞い込んできて忙しい。記事を書くよりテレビ・講演がおいしい」(大意)と言っていたという。だったら東京新聞をお辞めになった方がよいのではと思った次第だ。前記したように当初は「東京新聞論説副主幹」という経歴によって仕事のオファーが来ていたはずだからである。書くのが面倒ならば、「ジャーナリスト風タレント」として振り切ったら如何。

 それならば、メインMCとして、台本通り進行し、高江の取材VTRが偏向していても、それに異を唱える事なく、他のコメンテーターたちと同じく「テレビ・新聞が明らかにされていない反対派の実態がわかりました」という番組の趣旨の乗っかったコメントをしても、百歩譲って善しとしよう。

「百歩譲って」と譲歩したのは、反対派をテロリスト扱いした点にある。これは、重く受け止めたい。テロリストの残虐性はいうまでもない。無辜の市民を己の思想を押し通すためにむごたらしく殺害してきた。人ひとりの、いや、数十名数百名の尊い命を奪う行為と同列に論じるのは、理解できない。反対派が仮にものすごく過激だったとしても、である。

「バラエティだから」、と言って言論の自由を甘く考えていたのではないか。

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