人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第55回 (2/2ページ)
新潟県長岡市では、それでも次のような強気の演説をブッたのである。
「仕事をすれば、批判が起こって当然なんですッ。何もしなければ、叱る声さえ出ないッ。信濃川に橋を架ける場合でも、『架ける、架ける』と言っている段階ではみんなに喜ばれるが、いざ架けてみると下流の人からは『上流に架け過ぎた』、今度は下流に架ければ上流の人が同じことを唱える。皆さん! ですから学者の中には、『田中さん、せっかくの田中ブームを長続きさせるためには、あまりせっかちに仕事をしない方がいいですよ』などと言ってくれる人もいるんです。しかし、ムードで政治はできんッ。どうか、これから私の人気が悪くなったら、『ああ田中は仕事をしているんだ』と、まぁこう思っていただきたいのであります!」
この強気の言葉通り、田中はなお「仕事」に手を緩めることはなかった。選挙から日を置かずの昭和48年度当初予算案は「列島改造予算」と言われたように、大盤振る舞いの積極財政策が取られた。新幹線、道路など公共投資を前年度比34%増、14兆2800億円を計上、とりわけ新幹線予算を握る運輸相、道路予算を握る建設省(後に両省は現・国土交通省に再編)はウハウハ、田中総理サマサマで、同時に両省はさらに「田中官庁」の色合いを強めることになったのである。
しかし、総選挙敗北後、年が明けて通常国会に入ると、あの明朗闊達で鳴っていた田中の表情が一変するようになった。口数は少なくなり、周囲にはピリピリした空気が漂った。首相になったことで政務は官邸のみとなり、派閥や個人事務所に立ち寄る議員も、まためっきり少なくなった。それでも、夕方になると田中は必ず個人事務所に立ち寄り、好きなオールド・パーの水割りを口にした。「国の運命を左右する決断を1人で下さなければならない孤独感が、ヒシヒシと伝わってきた」と、秘書の佐藤昭子が後日、筆者のインタビューに答えてくれたものだ。
これは余談だが、田中の前任の首相だった佐藤栄作は官邸に隣接する公邸住まいをしていた時期があったが、筆者は妻・寛子へのインタビューで、“総理の孤独”についてこう聞いたことがある。
「深夜、一つの座敷だけに電灯がついている。覗いてみると、栄作が背中をこちらに向けて1人トランプ占いをやっていたのです。ゾッとした瞬間でしたが、それくらい総理は緊張感を強いられ、孤独なんです」
あの田中にして、その孤独感が知れたということである。一方で、孤独感の背中を押していたのは、はやジワリ「田中ブーム」に陰りが出始めていたことでもあったのだった。
(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。