子供の守り神である地蔵。しかしそれとは違う成立ちの桐ヶ谷斎場の子別れ地蔵 (6/7ページ)

心に残る家族葬

親より先に子どもが死出の旅に旅立つことは「逆縁」と呼ばれ、本来あるべきことではないとして、今なお、親が火葬場に付き添い、骨を拾うことができない場合がある。江戸期ではそうした風習は今以上に重んじられていたため、子どもを亡くした親は、「お地蔵さん」の前で、子どもを見送った。それでいつしか「子別れ地蔵」と呼ばれるようになったのだ。

今では、この周辺は宅地化が進み、江戸期の面影は全くない。しかも、「そこ」しか火葬場に向かう道がない、というわけでもなくなった。そして徒歩行列の形で、遺族が火葬場に向かう習慣も廃れてしまっているため、親が子どもとの別れを嘆く「悲しい場所」の面影は消えている。それらのことから、「子別れ地蔵」の本来の役割は終わってしまった。だが、それにもかかわらず、地域の誰かしらの手によって、この「お地蔵さん」は今なお、きれいに掃除され、真紅の帽子とよだれかけ、そして幾束もの鮮やかな千羽鶴がかけられている。

■最後に…

時代が移り、風景が変わっても、「過去」が何気ない形で残り、今でも大切にされていることは、実にありがたいことだ。

巣鴨の「とげぬき地蔵」のように特別なご利益があり、多くの人が参集する「お地蔵さん」ばかりではなく、西五反田の「子別れ地蔵」のように、地味な「お地蔵さん」がそこにただじっと佇んでいる、そのささやかな「ありがたさ」が、時代の流れや不心得者によって、壊されたり消えることなく、後世に継承されていくことを切に祈るばかりだ。

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