不吉という理由で宮型霊柩車が禁止傾向にあるが私は少し残念な気がしている (2/2ページ)

心に残る家族葬

同時に「枯れても他のものに生まれ変わるのが生命」「神に祈るのではなく生命と交信するの」といった、映画の舞台であるアメリカのキリスト教的な価値観とも異なった独特の哲学を語る。

その姿は生き生きとして時に少女のようにも見えるが、実は彼女には秘密がある。一つはアウシュビッツ収容所の生き残りであること。もう一つは80歳の誕生日に自らの手で人生の幕を下ろすと決意していることだ。

彼女の選択によってハロルドは愛車だった霊柩車に乗り、崖から転落する。物語の顛末は機会があればご自身で確認して頂きたい。個人的にはまさにモードの言う「他のものに生まれ変わる」ラストであったように思う。

■生と死はセットであり一つのサイクル。死だけが忌み嫌われるものではない。

霊柩車の思い出から映画の話になってしまったが、自身の過去を受け容れ、時には戦うことも必要に感じる。人生の終わりを考える時「どのように生きるか」という自分だけの価値観や哲学が必ずついて回る気がするからだ。

モラルやルールは必要なものだが、それだけでは息苦しい。満足して人生を終えるためには自分の手で何かを掴んでいく勇気も必要なのだと思う。その点からも死は生と切り離せず、忌むべきものでもないのだろう。それにしても生と死が一つのサイクルならば、「この世は楽しかった!またどこかで会おう!」と派手に旅立つのも悪くないとひそかに考えてもいるため、霊柩車が廃れていくのは少し残念である。

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