「私が死んだら鳥葬にしてもらいたいのよ」と話すマツコ・デラックスさん (1/2ページ)

心に残る家族葬

「私が死んだら鳥葬にしてもらいたいのよ」と話すマツコ・デラックスさん

「私が死んだら鳥葬にしてもらいたいのよ」と、以前、マツコ・デラックスさんがあるテレビ番組で語っていた。鳥葬とは、ひらたく言えば遺体を鳥に食べてもらうという葬送の儀式であり、遺体の処理方法のことである。主にチベットやインドなどの一部で行われている。日本では今でも土葬のところがあるようだが、主流は遺体を火で焼いて、全て灰にしてしまう火葬が一般的である。

■世界の常識と日本の非常識

私はずっと火葬が当たり前だと思って生きて来た。だから鳥葬を知った時にはかなりの衝撃を受けた。確かに他の国であれば、我々の常識ではないことも常識として存在することもあるだろう。そのくらいのことはさすがにこの歳になっていれば分かっている。分かってはいるが、しかし、鳥葬とは野蛮で悲壮でなんと恐ろしい風習なのか、というのが第一印象だった。

ちなみに私が初めて鳥葬に出会ったのは、勝谷誠彦氏の著書『ディアスポラ』からである。読んでいただければ分かるが、結構残酷で凄惨な表現がしてあり、身震いがした。

■巨体であることが死後、迷惑をかけると話すマツコ・デラックスさん

マツコ・デラックスさんがなぜ鳥葬にしてもらいたいのか、それはご存知の通り彼女があの体を持て余しているからに他ならない。曰く、死後の自分について、巨体ゆえの迷惑を、誰にもかけたくないのだそうだ。鳥葬ならば、全て鳥が処理してくれる。棺桶の大きさを考える必要はない。死期が近づいた時、自らで鳥葬の野に肉体を放たれれば、実際にはほとんど誰にも迷惑をかけることがないだろう。そんなにタイミング良く、上手くいくかは別として。

その話を聞いたとき、昔観た「ギルバート・グレイプ」というアメリカの映画を思い出した。小さな町で生きる青年と、その家族を描いた切ないヒューマンドラマである。青年の母親は引きこもりで拒食症の、凄まじい巨体だった。その母親が死んだあと、青年は悩んだ末、その遺体を家ごと燃やしてしまうのである。棺桶の大きさや、遺体を運ぶ労力、物理的に考えないといけないことは沢山あったが、実のところは、母親の醜い姿を誰にも見られたくなかったからなのだ。

実は、私の祖母もなかなかの巨体だったので、これを見た時考えさせられたのを覚えている。

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