人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第61回 (1/2ページ)

週刊実話

 自らの金脈問題を指弾されて無念の首相退陣。しかし、肩の荷を降ろした感のあった田中角栄に退陣からわずか1年余、再び雷鳴が轟いた。

 昭和51年2月6日、突然、米国から意外な事件の第一報が飛び込んできた。米国上院外交委員会、チャーチ小委員会の公聴記録が公開されたということだった。「(航空会社)ロッキード社が日本の自衛隊にP3C対潜哨戒機を、そして、全日空にトライスター機を売り込むために、30億円にも上る巨額の工作資金を右翼の児玉誉士夫や丸紅を通じて日本の政府高官に流した」とするものであった。史上名高いロッキード事件の幕が開いたということだった。
 その後、ロッキード社の前副社長(当時)コーチャンが、カネの渡し先として児玉、国際興業社主の小佐野賢治、丸紅の伊藤宏専務の実名を挙げたことで、日本の政界に激震が走った。それらの人物から日本の政府高官複数にリベートが支払われたということであった。

 当時、開会中の通常国会は「共産党委員長スパイ査問事件」で沸いていたが、このコーチャン証言が飛び込んできたことから状況は一変、国会はロッキード事件一色に染められた。国会は病気を理由に入院した児玉を除き、小佐野らを証人喚問したが、いずれも「記憶にございません」の一点張り、予算審議は空転した。「記憶にございません」は、流行語にもなったのである。
 4月10日、ロッキード事件の日本関連資料が米国から日本に運ばれ、全文2860ページにわたった対日不正工作調査資料の中に、丸紅から5億円のリベートを受け取ったとされる政府高官名として田中角栄を意味する「Tanaka」が挙げられた。疑惑の中心となった田中は、これを機にメディアからの一斉攻撃を受けることになったのだ。

 そうした中で、かねて田中の「金権体質批判」の声を高めていた三木武夫首相は、事件解明に異常とも言える執念を見せた。わざわざ時のフォード米大統領に調査資料の提供を書簡で要請、「徹底して真相を究明する」とも語ったものである。長く政界を牛耳ってきた田中をつぶすチャンスと見たということだった。この三木の姿勢を、国民とメディアは高く評価した。
 しかし、自民党内は違っていた。田中派ら反主流派を中心に「三木は自分1人いい子になろうとしている。

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