荷物届くのに4日も!?遊女のための配達人もいた、江戸時代の通信手段いろいろ

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荷物届くのに4日も!?遊女のための配達人もいた、江戸時代の通信手段いろいろ

今やネットショッピングでほしいものをクリックしたら、早ければ当日のうちに荷物が届いてしまう便利な世の中ですが、江戸時代は江戸から京都まで荷物が届くまで4日かかったそう。

出典画像:GATAG

飛脚の種類もいろいろ

江戸と京都・大坂間での書類や運送のやりとりに、庶民が直接関わることはありませんでした。幕府・大名・商人のみが利用していた当時の通信手段の一つが継飛脚。この継飛脚だと、江戸~大坂間を90時間で届けるのが一般的で、幕府の重要文書を送達するのに利用されたようです。

江戸後期になると、継飛脚に加え町人の経営する町飛脚がいくつも開業して、物資や情報の行き来がますます盛んに。料金設定が異なる臨時便や特急便もつくられました。今の宅急便システムに少しずつ近づいてきているような気がします。

チリンチリンの町飛脚

江戸の町飛脚には、便り屋と呼ばれる江戸周辺と市内専門を扱う業者もあり、手紙や小荷物を扱いました。別名はチリンチリンの町飛脚。背負った小さな箱の先の棒に風鈴を下げたまま市内をまわったので、チリンチリンという音がしたら町飛脚が近づいた合図。「あ、町飛脚がきたな」と手紙の準備をしていたのでしょう。もちろん店舗もあったので、荷物の持ち込みもOK。ただ、このチリンチリンの町飛脚、あるケースには不向きと言われました。どんなケースだと思いますか?

それは、恋文を頼みたいときです。恋文はそっと渡してもらいたいので、チリンチリンなんていう音がしたら、都合が悪いわけで。相手に届けてもらうにも自分に届けてもらうにも、どちらにもしても困りますね。

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遊女のための配達人

もう一つ、配達人といえば、文使いという人たちがいました。彼らは、吉原や品川の遊女にとって、なくてはならない存在です。妻子ある男や商家の若旦那に、いわば営業用の恋文をマメに送るため、遊女たちが書く手紙の量はハンパじゃありませんでした。

大量の手紙を運ぶ文使いは、遊女が払う正規の運び賃にプラス、手紙を受け取る男からのチップももらえたから、万々歳なのでした。

荷物は少しでも早く届いたら嬉しいけど、手紙よりメール。メールよりLINE…とどんどんスピーディーになると、なんだか「待つ楽しさ」というものが薄れてしまう気がすることも。どんな手紙がくるかなと、ドキドキしながら待っているときが、本当は、一番の醍醐味なのかもしれませんね。

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