浅田真央の亡き母が懊悩していた「2010年バンクーバー五輪後」の引退

アサジョ

浅田真央の亡き母が懊悩していた「2010年バンクーバー五輪後」の引退

 4月12日の引退会見で「昨年(12月)の全日本選手権で結果が出たときに『あー、もうだな』と思いました」と引退に至る心境を語った浅田真央。しかしその以前から、現役続行か否かの葛藤を抱えていたという。それは昨年4月に浅田が出演したラジオ番組「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)で明かされている。

「ソチ五輪後の記者会見で“ハーフハーフ”と言って休養した期間中に2度引退を考え、ブログの引退コメントまで書き終えていたという話を披露したのです」(女性誌記者)

 3度目の正直での決断となったわけだが、じつはその前にも浅田が引退するタイミングがあったという。

「今回の引退に関するインタビューで、山田満知子コーチが語っていました。バンクーバー五輪で銀メダルを取ったあと、当時ご健在だった浅田のお母さんが山田コーチに『もう引退してもいいんじゃないかと思う』と相談したそうです。山田コーチも『頑張ったんだからいいと思う』と答えたそうですが、この時は浅田に現役続行の意志があり、ソチを目指すことにした。結果として、ソチ五輪ではメダルは取れませんでしたが、そのとき引退していたら、あの伝説的なフリーの名演を見ることはできなかったのです」(スポーツライター)

 その後の故障や厳しかった競技生活を思うと、引退を考えた母心の深さに心揺さぶられるものがある。

(芝公子)

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