出会いや別れ、お花見等多くの象徴である桜だがその中には「死」も含まれる (2/2ページ)

心に残る家族葬

祖母は生前、山の上の素晴らしいバケーションである墓地の一角に、自分の入る墓を購入していた。確かに、空気は澄んできれいだし、土や草木の匂いを間近に感じることができる。環境は抜群である。業者の営業からもらったパンフレットは、それはそれは魅惑的な内容が描かれていたのだろう。つい購入してしまった気持ちもわからないでもない。しかし、問題はお墓参りに行くための交通手段である。

今は車で行くのでさほど問題はないが、そろそろ両親も運転をするのは心許ない年齢に差し掛かっている。歩いて登るのはなかなかきついし、駅から毎回タクシーで行くのも勿体無いし。門を入ってからお墓までの道も、結構な傾斜になっているので、もっと年齢がかさむと、いつかお参り出来なくなってしまう日がくるかも知れない。

■最後に…

自分が眠る場所として選んだのには、最高なのかも知れないが、残された家族にとっては、はた迷惑この上ない。

だが、はなびらがちらちらと舞い、何もかもを埋め尽くす満開の桜。人の清廉さも醜悪さも全て包み、隠していく。優しいはなびらに覆いつくされながら、死んでゆきたいと願うのは、きっと西行法師だけではない。理想と現実はギャップがつきものだ。

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