貞淑美女タレントの性白書 美保純 ピンクのカーテンに隠された奇跡の五十路女性器を剥ぐ!(2) (1/2ページ)
そして18歳になったとき“高卒”と学歴詐称をして名門デパート静岡店のメーカー派遣店員となり、給料も大幅にアップしたが、東京・六本木で催されたディスコ大会で、なんと“ディスコクイーン”に輝いたのだ。
「夜な夜な、ディスコで憂さ晴らしをしていたんです。度胸試しと思って出場したら、クイーンになった。しかし、そのニュースが会社に知れ渡ることとなり、“風紀を乱す”という理由でクビになってしまいました」(前出・芸能記者)
とはいえ、これが美保にとって大きな転機となった。
「とりあえず東京に出てみようと、ディスコ大会で優勝できたように、行けばきっと何とかなると思ったそうです」(前出・テレビ局関係者)
それで、地元のクラブで3カ月間“バニーガール”をやって約60万円を貯め、両親を説得して上京。広告代理店で受付の仕事をするようになった。
「そこで芸能プロの社長にスカウトされたのです。すぐロマンポルノの“現場”に連れて行かれて説明を受けたようですが、脱ぐことに抵抗感はなかったそうです」(映画ライター)
こうして1981年、映画『制服処女のいたみ』で主演デビュー。
「当時、1歳サバを読み19歳ということでした。マネージャーから“10代でヌードになるのと、20歳でなるのとではインパクトが全然違う”と言われて、そうしたようです」(前出・芸能関係者)
T158センチ、B82・W57・H83というピチピチサイズだった美保。
「本人は自分のおっぱいについて“幅はあるが高さに問題がある”と話していましたが、あの“美乳Dカップ”には随分“お世話になった”ものでした」(ベテラン芸能記者)
そして、翌1982年に公開された『ピンクのカーテン』で美保は大ブレイクする。
「これも主演映画でした。兄妹の“禁断の関係”をテーマにしたこの作品では、無邪気な妹役を演じた美保が中年男とラブホ密会。“即ハメ正常位”に“腰振り騎乗位”で我々の股間を熱くさせてくれました」(前出・映画ライター)
この作品はパート3までシリーズ化され、美保はブルーリボン賞、ゴールデンアロー賞、日本アカデミー賞でそれぞれ新人賞を獲得した。