「3000人の女と交わった」ホストクラブ王の破天荒交遊!(1)村田英雄がビートたけしに… (1/2ページ)

アサ芸プラス

「3000人の女と交わった」ホストクラブ王の破天荒交遊!(1)村田英雄がビートたけしに…

「眠らない街」「東洋一の歓楽街」と称され、数々の映画の舞台にもなった新宿・歌舞伎町。酒、社交場、非合法ビジネス‥‥さまざまな顔、そして「ダークサイド」を持つ欲望の迷宮を構築したのは、数々のカリスマたちだった。まずは、ホストクラブ草創期に君臨した伝説の男の告白から──。

「おい、お前たちは芸がないんだから、下を脱いでホールを一周してこい」

 ホールに声が響いた。ステージの上からマイクで声をかけたのは、「たけし軍団」を結成して間もない頃のビートたけし。命じられたのは、そのまんま東のほか、ダンカン、井手らっきょ、ラッシャー板前、ガダルカナル・タカ、松尾伴内、グレート義太夫など、軍団の面々だった。

「社長、どうですか。ホストに使えるヤツはいますか」

 たけしの言葉に、軍団の下半身をしげしげと見つめる社長。

「う~ん、イマイチだな」

 場内は爆笑、拍手喝采の大ウケだった。

 今から34年前の新宿・歌舞伎町。ホストクラブ「夜の帝王」の店内でのワンシーンである。社長と呼ばれていたのが、この店のオーナーであり伝説のホスト、関根勇氏(73)だった。関根氏は、たけしのことをこう評する。

「義理堅く、面倒見がよく、そして機転が早く、人に対する思いやり、優しさを持ち合わせている」

 関根氏が経営する「夜の帝王」の店内は100坪以上もあり、在籍ホストの数も常時100名を超えていた。演歌とジャズのツーバンドが入り、ホールではホストと女性客がダンスに興じる。華やかなクラブには、多くの芸能人が通った。ちなみに「夜の帝王」という店名の由来はまず、関根氏が梅宮辰夫に似ていること。そして当時、東映の人気作品に梅宮の「帝王」シリーズがあったことから名付けられた。

 人生でただ1人、「アニキ」と呼んでいた菅原文太も、よく店に顔を出した。来るたびに関根氏のマネージャーに10万円を握らせて帰る、スマートな飲み方だったという。

「トラック野郎」シリーズ全盛期の頃。文太のディナーショーが赤坂であった時のことだ。関根氏は楽屋にヘネシーを差し入れ、一緒に飲んだ。

「今日はお酉さんだ。

「「3000人の女と交わった」ホストクラブ王の破天荒交遊!(1)村田英雄がビートたけしに…」のページです。デイリーニュースオンラインは、村田英雄週刊アサヒ芸能 2017年 5/4・11合併号笹川伸雄ビートたけしホストカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る