3種類の江戸っ子?江戸に住む人々に「江戸っ子」という意識が生まれたのはいつ頃?

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3種類の江戸っ子?江戸に住む人々に「江戸っ子」という意識が生まれたのはいつ頃?

江戸幕府が開かれたときには、江戸っ子がいたわけではありませんでした。じゃ、いつからなのかというと、18世紀後半に、老中の田沼意次を中心に重商主義政策へ変換した時期。江戸商人が力をつけ始めて、江戸独自の文化が開花した時代です。

江戸っ子気質が誕生した背景

この頃、江戸は政治的に日本の中心であり、且つ人口100万人を超す大都市で経済的にも潤っていました。そこで、稼いだお金はケチケチせず豪快に使う、という江戸っ子の気質ができたわけですね。

江戸は武士と町人がほぼ同数ということもあり、江戸の町を歩けば、町人と武士とがすれ違うことも常でした。ここから、町人の「てやんでい、武士が怖くてやっていられるかい」という威勢の良さが生まれたのです。

江戸には仕事を求めて地方から人々が流入し、様々な人が住んでいたので、お互いにプライバシーを守り快適に過ごすために、初対面の人には年齢や家族、出身地などについて尋ねないという暗黙のルールも生まれました。一方では、江戸に生まれ育った人たちが、江戸ならではの美意識ってなんだろうと追究するようになったんですね。

当時の時代背景のいくつかの要因が、人情に篤くて粋な江戸っ子の誕生につながったようです。

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3種類の江戸っ子

江戸っ子と言っても、出自によっていくつかに分類されました。まず、両親ともに江戸生まれの、「真の江戸っ子」ですね。ほかには、両親のいずれかが江戸生まれの「斑(まだら)」、江戸生まれだけど両親ともに地方出身の「田舎っ子」。江戸にはこの3種類の江戸っ子がおり、「真の江戸っ子」においてはたったの1割しかいなかったとか。

粋な江戸っ子は、野暮なことが大嫌い。だから、真の江戸っ子であろうとなかろうと、お互いにそんなことをとやかくは言っていなかったはず。みんなが江戸っ子としての誇りを持っていたのです。今でも下町には江戸っ子気質が残っており、人情味あふれる人たちに出会うことができます。江戸っ子が大切にしていた「」な文化は、日本にとって宝物。これから受け継いでいきたいものですね。

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