【日本人が知らないニッポン】陶器は宝石に勝る トーハクで『茶の湯展』開催中 (2/3ページ)

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・名器ひとつは城ひとつ

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を始めとした戦国大名、そして足利将軍家も狂ったように熱を上げていたのは、茶器のコレクションです。

とくに陶器には法外な値がつけられました。掌に乗るようなサイズの茶入れが、城ひとつと交換できます。各領内で産出された貴金属は、名器と言われる茶碗の購入に消えていきます。

一方で日本人は、宝石にほとんど関心を示しません。16世紀は今のミャンマーに該当する地域との交易路が開拓され、ルビーが出回るようになりました。ヴァスコ・ダ・ガマの船団の日誌係も、ミャンマーのルビー相場について詳しく書いています。西洋人が何に関心を示していたのかをよく物語る記録です。

ですが、戦国時代の日本ではルビーが流行することはついにありませんでした。あの織田信長ですらも、興味を示したのは器の蒐集です。彼らにとって茶の湯は哲学であり、茶器は最高の芸術作品でした。時代が進むと、何の装飾も華美さもない黒い茶碗に思想を見出す運動も発生します。

その代表格が、千利休。彼の思想はあまりに奥が深く、未熟者の筆者の手には大いに余ってしまいます。ですが権力者から「貧相なもの」と見なされていた要素を茶の湯に取り入れることにより、ある種の平等思想を確立したのではないかと筆者は考えています。恐ろしく狭い茶室などは、まさにその一例です。

茶道と陶器は、「思想」という名の付加価値で光り輝いていました。

・博物館で分かる政府の「信用度」

筆者は海外旅行へ行く時、その国の特徴を知るためにまず「どのような工芸品があるか」をチェックします。続いて、その国の首都にある最も大きな博物館へ行くことにしています。

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