癌が見つかった時に生まれて初めて自分が死ぬかもしれないと真剣に考えた話

心に残る家族葬

癌が見つかった時に生まれて初めて自分が死ぬかもしれないと真剣に考えた話

以前、健康診断で胃癌が見つかった。バリウム検査で引っかかり、その後の胃カメラ検査で病名が確定した。ちなみに私はこの胃カメラ検査が嫌いだ。最近は随分細くなって楽になったと言われている、ハイテク技術が沢山詰まった鉛色の管。くねくねとまるで生き物の様に私の口から喉へ、そして奥深く内部へと滑り込んでいく。私の苦しみなど全くお構いなしに、そいつはどんどん奥深くに入り込んでいく。私の身体は次第に、顔中の穴という穴から液体を流出し続けるという、恐ろしい異変が起こり始める。痛く苦しい。恥かしく悲しい。毎回、本当に命が削られていく気がする。

■胃壁に見つかった異常

終わったあと、若い女医から伝えられた。

「胃壁にちょっと気になるところがあるので、組織検査を行ってもらった方がいいですよ」

組織検査というのは、胃カメラの先端に小さなナイフのようなものをつけて、患部を少し削り取るというものだ。私は思った。今分かったんだったら、ついでに何故、今取ってくれなかったのか。その検査のために、もう一度この地獄を、味わわなければいけないじゃないか。

■再検査で確定した胃がん

再検査は紹介してもらった別の総合病院で行われた。そこの医師は、あの女医が気になると言った胃壁の写真を見て、「ただの胃潰瘍痕だと思いますよ。99%問題はないですね」と言った。それなら何も慌てて検査する必要はないかと思い、今回の再検査を見送るつもりでいたら、医師としても紹介がある以上は、再検査はしておくべきかと思い直したらしく、結局2か月後に検査の予約をとらされた。さてこの2か月間は憂鬱である。こんなことならさっさと終わらせてしまえばよかったと後悔した。

2か月後、例の地獄の検査をやっと終え、後日、軽い気持ちで検査結果を聞きに行ったら、医師が私の全く想定していなかった話をした。そう。つまり、あれは胃潰瘍の痕なんかではなく、れっきとした癌だったのだ。ショック過ぎたのか、その日、診察料を支払うのも忘れて、ふらふら帰って来てしまった。

■人は必ず死ぬ

私の周りには、幸運にも癌患者はいない。家族も友人も、おかげさまでみんな元気である。だからこそ免疫が無く、こんなときどう対応するべきなのか、予想がつかなかった。今は早期発見であれば、完全回復が常識となってはいるが、癌と言えば死んでしまう非常に恐ろしい病気だ。この時、生まれて初めて自分が『死ぬ』ということを真剣に考えた。人は必ず死ぬ。

幸いにも、早期発見出来たこと、しかも進行の極めて遅いタイプの癌だったため、手術をすれば、その後の治療の必要もなく、またすぐに日常生活に復帰することが出来た。ただ、手術によって、私の大事な胃は今までの3分の1に縮小してしまったけれど。

■最後に…

手術の前夜、ようやく私は実感を伴って『死』というものが、眼前に迫ってきたのを感じた。真夜中の病院で一人、恐怖に押しつぶされそうになりながら、明日が無くなるとはどういうことか考え続けた。

人はそれぞれ違う。生き方も死も。そして死に方を選ぶことも出来ない。いつ死が訪れるかも分からない。ならば、今どう生きることが大切なのか、どう人と接するのが大切なのか、どうやって死を受け入れるべきなのか。なまじっか、色んなことを知ったり考えたり出来てしまう、人間という生き物は、本当に厄介だ。

その後、治療はしなくてもいいのだが、定期的に検査は行わなければいけない。それは例の、胃カメラ検査である。

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