朝日新聞が待望していた「慰安婦狩りの生き証人」登場の瞬間 (1/2ページ)

太平洋戦争のさなか、軍令で朝鮮人女性を強制連行し、日本軍の慰安婦にしたと“告白”した吉田清治。彼が朝日新聞に初めて取り上げられたのは、1980年3月7日付朝日新聞横浜版などに掲載された連載『韓国・朝鮮人』である。ここには、横浜市内在住の著述家として登場している。自ら朝日新聞川崎支局に電話をかけネタを売り込んだが、このときの“吉田供述”はつじつまが合わず、ほとんど採用されていない。
吉田に対応したのは、のちに朝日新聞ソウル特派員になり『慰安婦虚報の真実』の著者となる前川惠司氏だった。前川氏はこのときすでに、吉田の正体を見抜いていた。
注目しなければならないのは、連載『韓国・朝鮮人』には“慰安婦”や“女性の強制連行”という文言が登場していないことだ。記事中には、労務者として吉田が募集した《農作業中の男》や《20代前半の若者》、《15、16歳の少年》、《50歳近くの男》ら、登場したのは男ばかりだった。
ところが1982年に入ると、同年9月2日付本紙社会面報道を皮切りに《朝鮮の女性 私も連行》という記事が登場する。これは吉田が「任務で、韓国の済州島で200人の若い朝鮮人女性を無理やり連行し、慰安婦にするために軍に引き渡した」とする講演内容を報じたものだった。
《43年に韓国・済州島で、日本の軍人が赤ん坊を抱いた母親や若い未婚の女性を狩り立て、トラックで連行した》と、以後流布される“慰安婦を強制連行した人物”として初めて名乗り出たのである。
強制連行問題とも共通する「裏付け」
1980年にはなかった“慰安婦狩りのシナリオ”が、2年後に突然現れたわけだ。男は女に、労務者が慰安婦に突然変異して…。これに飛びついたのが朝日新聞だった。
朝日新聞は、吉田以前から日本軍による“慰安婦狩り”が朝鮮の都市の路上で行われたと、盛んに報道していた。