「官能小説」といわゆる「普通の小説」のちがい (1/2ページ)
官能小説を書きつつ、心の奥で「ホントは官能小説ではなく、いわゆるふつうの小説を書きたい」と渇望している作家がいます。
渇望しても、書けないものは書けないので、渇望しつつずっと、官能小説家のまま、という人も大勢います。官能小説と、ふつうの小説は、なにがちがうのか? について、ここでは見ていきます。

官能小説と、いわゆるふつうの小説のちがいを示す基準のひとつに、「精神的な深みがあるかどうか」というものがあります。ふつうの小説にも、エッチなシーンって、たくさん出てきますよね?
たとえば恋する男女が、いよいよ相思相愛になりそうな手前で、彼女のほうが夜、自室のベッドで彼のことを思ってオナニーするシーンが描かれているふつうの小説があります。
官能小説にだって、こういうシーンがあるものがあります。官能小説は、「見せ場」のひとつとして、オナニーシーンを描きます。
小説って長いので、ポイントポイントでエロシーンを盛り込まないと、読者が飽きますよね? 飽きさせないようにしようと思えば、見せ場をいくつか描く必要が出てきます。
いわゆるふつうの小説は、たとえば「魂の揺らぎを表現する」ためにエロシーンを「借り」ています。エロシーンはあくまで、なにかの「隠喩」であり、本質的に言いたいことを言うための「手助け」をしています。
つまり魂の揺らぎという、形のないものに、形を与えて、読者にわかりやすく理解していただくために、性的な表現を拝借しているわけです。
同じオナニーシーンであっても、そこで描かれる「べき」ものがちがう、ということです。
本来、セックスとか性的な言動というものは、魂の揺らぎと密接につながっている行為だということです。
魂の浅い部分をエロい好奇心で描くと、それは官能小説になります。