【日本人初】インディ500を制した男、佐藤琢磨ってどんなドライバー? (3/4ページ)

イキなクルマで

初めてカートに乗ってからわずか5年で、彼は世界最高峰のモータースポーツのシートを獲得したのです。参戦初年度はチームの基盤が不安定であったため、日本GPでの5位が最高位でしたが、時折光る走りはジャーナリストの話題の種となっていました。

琢磨のF1での活躍といえば、2004年のアメリカGPがもっとも記憶に残るという方も多いのではないでしょうか。このレースで彼は、ミハエル・シューマッハ、ルーベンス・バリチェロに次ぐ3位フィニッシュで表彰台を獲得。鈴木亜久里に続いて、日本人最高位タイ記録という偉業を成し遂げました。

2006年にはその鈴木亜久里が立ち上げた新チーム、スーパーアグリに移籍。エースとしてチームを引っ張る琢磨の姿は、日本のファンの結束力をも高めていきました。しかしそのチームも資金難には勝てず、2008年には撤退を発表。琢磨はF1でのシートを失います。

その後もスクーデリア・トロ・ロッソと交渉を重ねてテストドライブを行うところまでこぎ着けますが、シートを得ることはできませんでした。

■心機一転、アメリカにて再スタート

その後も複数のF1チームと交渉を行った琢磨でしたが、2010年よりインディカー・シリーズで走ることを決めます。初テストでは上位に食い込むなど、手ごたえを感じるには十分なものでした。2010~2011年はKVレーシングからエントリーしていましたが、2012年はレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍。第4戦のサンパウロでは25位スタートから追い上げを見せ、自己最高の3位フィニッシュを達成します。これにより、琢磨は日本人として初めてF1とインディカー・シリーズの両方で表彰台に立ったことになります。

2013年、チームをA.J.フォイト・エンタープライズに移籍して迎えた第3戦ロングビーチにて、琢磨は日本人としてインディカー初優勝を果たします。これはトップフォーミュラ(日本国内のものを除く)の歴史の中でも初の快挙となります。

そして2017年。アンドレッティ・オートスポート(AA)に移籍した琢磨は、インディ500優勝という偉業を達成したのです。

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