世界三大レース特集:栄光のチェッカーを目指して。ル・マン24時間耐久レース【3か月連続連載企画】 (2/4ページ)

イキなクルマで

■戦後は自動車メーカーの対決の舞台にphoto by Stevingtonian(CC 表示 3.0)

戦前のフランスの自動車メーカーのストライキや第二次世界大戦による中断を経て、1949年にル・マンは再開されました。レギュレーションに初めて「プロトタイプ」の文字が記され、レース専用車両の参戦が可能になります。こうしたことからレースを宣伝の場と考えるメーカーのエントリーが増え、活況を呈しました。フェラーリやジャガー、メルセデスなどが参戦し始めたのもこの頃です。しかしメルセデスは1955年に起こした大惨事(接触事故を起こしマシンが宙に舞い上がった後、観客席側のコンクリート壁に激突。死者83人、負傷者100人以上)以降、しばらく姿を見せることはありませんでした。

■フォード、日本車が台頭した1960~70年代マトラ・MS670 photo by Baptiste vialatte(CC 表示-継承 3.0)

1960年代は、再び市販車ベースのマシンであるGTカーが覇権を争う時代に突入します。圧倒的な強さを示したのは、アメリカからの刺客であるフォードです。物量作戦を展開し、打倒フェラーリに燃えるフォードは1966年、ついにル・マンを制覇しました。翌年もフォードが勝ち、アメリカ人によるアメリカ車でのル・マン初優勝という記録を打ち立てます。

記録という点では、1972年のレースも忘れてはなりません。この年優勝したG.ヒルはモナコGPやインディ500も制したドライバーで、現在まで唯一世界三大レースを制覇しているドライバーなのです。そして1970年代といえば、日本の有力プライベーターであったシグマ・オートモーティブがル・マンに初参戦したということで記憶されている方も多いことでしょう。これが、日本メーカーのル・マン挑戦へとつながっていくのです。

■「Le Japon attaque(日本の来襲)」と呼ばれた1980~90年代マツダ・787B photo by 韋駄天狗(CC 表示-継承 3.0)

1982年にグループC規定が発効されると、ル・マンもグループCカーでの争いとなりました。

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