徳川家康が粗末な江戸城に入城したのは、江戸のポテンシャルに気づいたから? (1/3ページ)

Japaaan

徳川家康が粗末な江戸城に入城したのは、江戸のポテンシャルに気づいたから?

家康、江戸に入城す

天正18年(1590)、徳川家康江戸城に入城し、この日から家康による関東支配がスタートしました。このときの江戸城は立派といえるものではなく、むしろ荒れ果てていました。石垣はまったくなく、すべて芝土手。城内の建物も板葺きの田舎屋で、とても粗末なつくりだったのです。

家康が入城することになったきっかけは、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻略し天下統一したとき、一武将として尽くした徳川家康に、褒美として北条氏の領地武蔵(東京都・埼玉県)・相模(神奈川県)・安房(千葉県)・上総(千葉県)・下総(千葉県・茨城県)・常陸(茨城県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)を与えたのです。

領地を貰うだけならよかったのですが、家康の旧領地だった駿河(静岡県)・遠江(静岡県)・三河(愛知県)・甲斐(山梨県)・信濃(長野県)をとりあげられたので、結果的には田舎に追いやられることになってしまいました。

江戸のポテンシャルに気づいた家康

でも、家康はこれをポジティブに捉えたのです。東方にある江戸は発展の可能性があると考えたわけですね。江戸には高橋という港があり、武蔵野台地もありました。かつて高橋は港町として賑わっていたし、武蔵野台地には品川台地・麻布台地・麹町台地・本郷台地・上野台地と5つの台地があり、実に広大でした。

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