古文書から紐解く巨大地震発生デー 第3弾 九州地方の異変と長野震度5強 (3/4ページ)
これらはすべて関連性があるとされ、「慶長の連動地震」とも呼ばれている。
800人余りの死者を出したとされる慶長豊後地震の際、布教活動のため現地にいた宣教師のルイス・フロイスは、『イエズス会日本通信』で「ある夜突然、波が二度三度と、非常なざわめきと轟音をもって岸辺を洗い、4〜5メートル以上の高さで打ち寄せた」としており、別府湾にあった瓜生島と久光島と呼ばれる2島は、この地震により沈んだと伝えられている。フロイスは被害の凄まじさをこうも綴っている。「地獄のような深淵は、男も女も子供も雄牛も家もその他いっさいのものを一緒に奪い去り、あらゆるものが海に変わったように思われた」。
一方の慶長伏見地震においては、京都や堺で死者数が1000人を超えたと伝えられ、伏見城内では600人以上が圧死したとされる。当時の様子をイエズス会士ジアン・クラッセが記した『日本西教史』によれば、難を逃れた豊臣秀吉は、城中に残った台所で一晩を過ごし、翌朝1キロ北東にある山に仮小屋を建て、しばらくそこに籠ったという。
いずれにせよ、中央構造線上での地震は、今も昔も変わらず巨大地震を誘発する危険を孕んでいるということだ。
前出の島村氏が続ける。
「昨年の熊本地震によって中央構造線が刺激され、活性化した可能性もあります。昨年10月には阿蘇山が爆発的噴火を起こし、今年5月にも熊本で震度4の余震を記録している。そして、大野市の地割れ。20日の地震の場合は、南海トラフ絡みとも中央構造線絡みとも取れるが、今後、予想だにしない大地震が発生するかもしれません」
中央構造線を考えれば、当然、阿蘇山の噴火も無視はできない。
熊本県上益城郡の厳島神社の神主だった渡邊玄察は、1632年から1701年までの約70年間にわたる年代記を書いているが、その中には阿蘇山の噴煙の様子も書かれている。
「それによれば、1662年は6月に京都に甚大な被害を出した寛文近江・若狭地震、9月に日向灘沖を震源とした地震が発生。さらに10月、宮崎県や鹿児島県の大隅半島に被害が及んだ外所地震の際に阿蘇山が噴煙を上げ、1691年に比較的大きな噴火をしている流れが分かる。