【プロ野球】お祭りか、真剣勝負か。今こそ振り返りたい「オールスターの一番長い日」 (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

■延長21回、試合時間4時間30分の死闘

 さて、話を野球のオールスターゲームに戻そう。もっと真剣勝負をするべきだ、という議論のきっかけが2002年のオールスターゲームにおける「延長11回7対7の引き分け」だった、というのは上述した通り。

 だが、日本のオールスターゲームでは過去にもっともっとすごい延長ゲームがあったことをご存じだろうか。そのゲームが、1952年、西宮球場で開催されたオールスターゲーム第1戦。なんと延長21回まで試合が続いたのだ。オールスターの意義と歴史を考察する上でも、改めてこの一戦を振り返ってみたい。

 かつてあった「東西対抗戦」に代わるものとして、現行のセ・パ対決形式のオールスターゲームが日本で誕生したのが1951年のこと。つまり1952年は、第2回オールスターゲーム。セ・パに分かれたばかりの頃だったこともあって、ライバル意識は今以上に激しかった時代だ。

 先発は、セ・リーグがこの年、最多勝投手となる別所毅彦(巨人)。パ・リーグは、こちらもこの年、最優秀防御率のタイトルを獲得することになる袖木進(南海)。両リーグのエース対決で3回までスコアにはゼロが並んだ。

 先発両名がマウンドを降りると、4回表にセ・リーグが4本のシングルヒットを集め、2点を先制(ちなみに打ったのは、2番・千葉茂、3番・岩本義行、4番・川上哲治、5番・藤村富美男という、全員がのちに野球殿堂入りを果たす豪華なメンバーだった)。

 一方のパ・リーグも6回裏、それまで好投を見せていたセ・リーグ2番手、若干18歳の金田正一から2点を返し、同点に。そしてここから、長い長い「ゼロ行進」がはじまる。なんと7回から延長21回までの15イニング、両リーグあわせて30個の「0」がスコアに刻まれたからだ。

 14時06分に始まった試合が終わったのは18時36分。このとき、西宮球場にはまだ照明灯がなかったための「日没引き分け」で、4時間30分におよぶ死闘は幕を閉じたわけだ。

 試合後、「もう何も話したくない。勘弁して」と語ったのは青バットの大下弘(西鉄)。「疲れた、のひと言。しんどい」と語ったのは赤バットの川上哲治(巨人)。だがこのコメントこそが、真剣勝負の証左だった、といえるのではないだろうか。

 ちなみに1日空けて、7月5日に後楽園球場で行われた第2戦は、8対1でパ・リーグが圧勝。試合時間はわずか1時間55分だった。

 さて、今年のプロ野球オールスターゲームは一体どんな展開になるのか。注目は、4年ぶりの出場となる西武のエース菊池雄星対セ・リーグの4番候補、DeNAの筒香嘉智の同級生対決ではないだろうか。

 高校3年の春、公式戦ではなく練習試合で対戦したこの両雄。直前のセンバツで準優勝を果たした花巻東高・菊池雄星から特大ホームランを放ち、スカウトからの評価を一気に高めたのが横浜高の筒香嘉智だった。プロで成長した2人がどんな名勝負を演じてくれるのか? そんなタイムカプセルの要素が詰まっているのも、オールスターゲームならではの魅力かもしれない。

文=オグマナオト

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