バチカンなのに何故スイス?世界最小国バチカン市国とスイス衛兵の歴史 (2/4ページ)

GOTRIP!

サンピエトロ大聖堂のファザードの上部には、11使徒の像が並び、近くで見るとかなりの大きさであることが分かります。大聖堂の前にある二体の像が聖ペテロと聖パウロです。大聖堂のドームの部分のクーポラは地上132.5メートル、直径42.5メートルで、ローマの街を一望できる素晴らしい展望スポットです。バチカン市国と教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルで個性的な衣装を身に纏っています。青、黄、赤の縞柄の制服は16世紀のルネッサンス期のデザインを基にしたもの。当初の制服はミケランジェロがデザインしたとも伝えられています。

スイス衛兵がバチカンに初めて来たのは、16世紀始めに教皇のユリウス2聖が当時ヨーロッパで高い戦闘力を誇ったスイスの傭兵を雇ったことが始まりです。1527年に神聖ローマ帝国のカール5世がローマに侵攻し「ローマ略奪」事件が起こりました。これにより美術品などの略奪、教会の破壊、芸術家たちが殺害され、ローマのルネッサンス時代は一気に荒廃してしまいます。

ローマ略奪時にバチカンにも敵の軍勢が攻め入り圧倒的不利な状況の中、スイス衛兵たちは勇敢に戦いました。

「バチカンなのに何故スイス?世界最小国バチカン市国とスイス衛兵の歴史」のページです。デイリーニュースオンラインは、サンピエトロ大聖堂バチカン市国ローマイタリアヨーロッパカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る