古文書から紐解く巨大地震発生デー 最終弾 (2/4ページ)

週刊実話

文明が進んだ分だけ被害は大きくなるので、今、東京を大きな地震が襲ったら大変なことになりますよ」

 地震はまだ続く。前述の遠州灘での余震が起きた4日後、関東地方南部を震源とした直下型の安政江戸地震(M7級)が発生した。
 当時、江戸で剣術の師範をしていた沼田藩士の藤川整斎は、『安政雑記』でこう記している。
 《近年畿内より東海道・相模辺迄地震津波の災危ありて、人民多く死亡せるよし成れども大江戸近くには其憂患なく、諸人快楽安逸に恒の産を守りて、是はた余処の事とのミ聞過し居なりしに、今年安政二年十月二日夜亥時大地震ありて――》
 地方が大地震で壊滅の被害を受けたが、江戸は自分には関係ないと多くの人が快楽を貪る日々。その報いは遠からずやってきた。まるで現代の東京と同じ状況を思わせる文章だ。

 この地震は江戸開府以来の大地震で、震源地は墨田区深川近辺。当時の記録によると、日暮れ時に寺がつく入相の鐘が鳴り、夕食も済んで、これから読書でもしようという夜10時頃に大きな揺れが起き、たちまち家屋が倒壊した。同時に約32カ所から火の手が上がり、家の下敷きとなった人は見殺しとなり、助かった人は右往左往するばかりだったという。
 さらに火に追われ、川へ飛び込み死んだ者も数知れず。吉原では地下室に逃げ込んだ遊女たちが蒸し焼きになってしまったという、なんとも生々しい記録まで残っている。
 「この地震の揺れで、最も強かったのが墨田区本所、江東区深川で、次に中央区の湊・日本橋・築地、台東区浅草、さらに港区芝・田町・高輪、品川区などが続く。台東区の吉原では焼死・圧死1560人、負傷2300人余りだったという。江戸での民家の倒壊は1万4000戸以上、死者は1万人との説もあり、一方で『安政雑記』では、供養数だけで各宗派合計21万9900余人となっている。これには多少誇張しすぎとの説もありますが、死者・行方不明者の実数は把握できていないほどです」(前出・サイエンスライター)

 この江戸における直下型地震から162年。現代の東京においても、直下型地震の襲来が刻々と迫っているとされる。
 「専門家の間でいま、最も注目されているのが、東京のド真ん中を走る“推定断層”の存在です。

「古文書から紐解く巨大地震発生デー 最終弾」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る