【甲子園・真紅の優勝旗事件簿】折れた?消えた? 初代優勝機を巡る悲喜こもごも (2/2ページ)

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■犯人は謎のまま。優勝旗失踪事件

 柄が折れただけであれば治すこともできるが、旗そのものがなくなってしまって大問題になったこともあった。それが1954年の「優勝旗失踪事件」だ。

 事件は1954年夏の甲子園優勝校、中京商(現中京大中京高)で起きた。その年の11月末、中京商の校長室に飾ってあった優勝旗がこつぜんと消えてしまったのだ。もちろん、学校中が大騒ぎ。教師だけでなく全生徒を動員して校内の隅々まで捜索。それでも旗は出てこなかったため、今度は警察に依頼して40~50人の警察官が動員される大規模な捜索態勢が敷かれた。

 もちろん、この失踪事件は大きく報じられ、学校側は主催者である朝日新聞社に謝罪。だが、当時の朝日新聞上層部は「出てくるまで絶対に探してください」と冷たい返事しかしなかったという。

 その後も手がかりはなく、なかには「我々の力で優勝旗を探し出しましょう」と豪語する宗教団体が登場したがもちろん見つかるはずもなく、年も明け、いよいよ迷宮入りか……という空気になりはじめた1955年2月、意外なところから優勝旗は発見された。中京商から約600メートル離れた名古屋市立川名中学校の床下に、風呂敷に包まれた優勝旗が置かれていたのだ。

 見つけたのはその中学に出入りしていた大工さん。廊下を修理している最中に発見。捜索を始めてから85日後のことだった。ただ、旗は見つかったものの、犯人は結局わからずじまい。そしてこの事件以来、優勝旗を銀行の金庫に預ける学校が増え、管理には神経を使うようになった。

 現在、この初代優勝旗は甲子園球場内にある甲子園歴史館で展示中。2代目も同館に寄託される予定だという。その前に、最後にこの2代目を手にするのはどの学校になるのだろうか。

文=オグマナオト

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