ビートたけしの金言集「たまには感動を与える側になってみろ」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

ビートたけしの金言集「たまには感動を与える側になってみろ」

 90年代半ば、ブラジルからやってきたジーコが、Jリーグでプレーをして引退を表明した頃、世の空気が、「ジーコ様、日本のサッカーのためにありがとう」的なもの一色に染まったことがありました。この時、ニュース番組の街頭インタビューで町のおばちゃんが、「ジーコは私の青春でした。ありがとうジーコ~~」と、涙を浮かべながら答えていた映像を目にした殿は、

「ウソをつけ! お前が青春だった頃、ジーコはまだ日本に居なかったろ。ジーコなんて知ったの最近じゃねーか。何を都合よく感動してんだ!」

 と、いつもの“たけし節”でバッサリ切り捨てると、

「だいたい、何でもかんでも感動をありがとうじゃないよ!」

 と、ダメを押したのです。

 殿のこういった“その感動はそもそも怪しい”なる発言は、実によく耳にします。

 前回の五輪でも、ある日本人選手が接戦の末に金メダルを獲得すると、やはり、世間の空気が「感動をありがとう」といったものになりました。この時も殿は、

「感動ばっかりもらってどうすんだよ。たまには感動を与える側になってみろってんだ!」

 と、バッサリやると、

「スポーツでもお笑いでも何でもよ、やったヤツにしかわからない感動があるんだよ。そっちを想像したら、1回くらいはやる側になって挑戦したいと思うけどな」

 と、“やってきた男”ビートたけしだからこそ言える発言を、しみじみと漏らすのでした。

 以前にも、酒席にて、さんざんみんなでふざけまくった深夜、“ちょっとまじめな話”ができる空気に移行したため、何気なくわたくしが、「殿は人生がもう1回あるとしたら、やっぱり芸人を目指しますか?」と、そんな質問をあてると、実にまじめなトーンで、

「芸人になるかはわからないけど、また、何かをトライする人生を選ぶな。トライしてダメでもよ、“俺はこれだけやったんだ”ってのがないのはちょっと寂しいしな。これは昔からよく言ってんだけど、大江健三郎の『見るまえに跳べ』ってのが好きなんだよ。失敗したっていいの。

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