韓国と台湾の「戦時中労働者」が抱く感情の違い

まいじつ

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戦時中の朝鮮半島出身者を『徴用工』として強制的に連行、労働させられたとして、戦後の日本企業に謝罪や補償を求めてきた問題で、韓国の文在寅大統領は就任100日の記者会見で「個人の請求権は消えていない」とする考え方を支持した。

「韓国では従軍慰安婦少女像が至る所に設置され、いまでは反日の象徴として海を渡り海外にも設置されています。それとまったく同じ趣旨で設置されつつあるのが『徴用工像』です」(韓国ウオッチャー)

文大統領の発言は、1965年の日韓基本条約と請求権協定で、韓国に対する補償が「完全かつ最終的に解決された」ことを無視するに等しく、日本としては容認できるものではない。

一方、2013年5月9日のこと。約250人の『台湾高座会』を名乗る団体が、神奈川県座間、大和両市に来日した。太平洋戦争中、8400人以上の15歳前後の少年たちが台湾から日本にやってきて、学びながら現在の大和市内にあった『高座海軍工廠(海軍直属の軍需工場)』で軍用機製造に携わったのだが、その少年たちが80代になって再び来日したのだ。

「日本へ行けるのは誇りでした」

当時の同工廠は座間と大和など数村にまたがる30万坪の用地に行員1万人を擁し、最新鋭の局地戦闘機『雷電』を生産していた。このうち8400人が台湾出身の少年工だったのである。

「2013年に彼らの初来日から70年を迎えるに当たっての記念式典が開催され、その行事に参加するための来日でした。同年4月に日本政府から旭日小綬章を受賞した台湾高座会会長の李雪峰さんは『わたしのクラスでは、受験者が三十数人も出て、そのうち合格したのはわずか3人でしたから競争率は10倍以上でした。日本へ行けるのは誇りでした』と、250人全員が日本にいまだに感謝の念を抱いていてくれたのです。韓国の旧徴用工やその遺族とは真逆な人々です」(台湾ウオッチャー)

韓国も事情は同じだったが、当時の心情を吐露すれば“つまはじき”にされることもあるのだろう。しかし、台湾と韓国の日本に対する感情は雲泥の差で、国が違えばこれだけ感情の差があるのだ。

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