千年以上前から存在していた当時の散骨と、私たちが考える現代の散骨の違い (4/5ページ)

心に残る家族葬

それゆえ、何らかの経済的・宗教的・文化的理由、または時代の変遷によって、埋葬方法が傍目には「貧弱」と見えたからといって、「薄葬」とは一概に言えない。

そして「薄葬」があったのだから、当然、「厚葬(こうそう)」も存在する。

埋葬施設または外部施設としての「墓」の規模、副葬品の質と量、葬儀そのものと墓づくりにかかる費用と手間などが通常よりもはるかに多いとみなされるもののことだ。厚葬の例としては、近世において、徳川家康(1543〜1616)が「東照大権現」として祀られた栃木県日光市の神社・東照宮がその一例だ。古くは弥生時代中期から古墳時代にかけて全国各地に見られる、土地を治める豪族・王族を埋葬した巨大な墓所内に、高価かつ珍奇な中国製の銅鏡、翡翠(ひすい)や赤瑪瑙(あかめのう)などの玉、鉄製の剣などが遺体とともに、大量に副葬されていたことなどが挙げられる。

■1000年以上前の葬儀と現代の葬儀の違い

1000年以上前の日本の葬儀のありようは、現在とは大きく異なっている。ただ言えることは、世界観・価値観・宗教観がどれだけ変化したとしても、死はどんな形であれ、人間を含む全ての生き物に平等に訪れるものだ。そしてある人を失って悲しむこと、そこから立ち直ること、そして後々、その人を思い出して懐かしく思うことができるのは、現代人でも万葉人でも変わらない。

また同時に、葬儀や墓所のありようは時代を色濃く反映するものだ。葬儀や墓は「大事なもの」ではないから簡略化することを決め、生きているうちに「自分」が、または「自分」の死後、残された人が取り計らうことこそ、「大事なもの」と思っていることの裏返しのように思われる。また、「誰も継ぐ人がいない」からと古い墓所が「墓じまい」され、更地になってしまうことを、一概に「孤独」「かわいそう」と第三者が決めてかかることもなすべきではない。100年、200年後の日本において、どのような価値基準・判断が「当たり前」とされているか、我々には想像もつかないことだからである。

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