暗殺された金正男の父・金正日のゲスすぎる「性豪列伝」 (2/2ページ)

まいじつ

愛人たちを調達する“草刈り場”が、前半は芸術団に所属する女優たちであり、後半は喜び組だったということも明らかになっている。

正日の最初の妻は…?

また、正日の夫人たちにはある共通点が見られる。それは、どちらかというと色白で丸顔のぽっちゃりとした顔立ちをしていることだ。これは正日が、不幸な別れ方をした母、金正淑(キム・ジョンスク)の面影を求めているからではないかといわれる。

正日の最初の妻は、1990年代前半まで洪一天(フォン・イルチョン)といわれていた。1982年に韓国に亡命し、1996年に正日の家族関係を暴露する手記を出版して翌年に暗殺された義理の甥、李韓永(イ・ハニョン)の証言が根拠になっている。

一天は1968年に恵淑(ヘスク=恵敬:ヘギョンともいわれる)という娘をもうけたが、3年後(5年後説もある)に離婚したといわれる。だが、洪が第1夫人だったという確たる証拠は出てきていない。従って離婚の原因も分かっていない。

チュチェ思想を確立し、人民統制を確立させた黄長燁(ファン・ジョンヨブ)の韓国亡命後の証言によると、正日は金日成総合大学卒業後、芸術指導と称して権力を笠に女優の体を有無を言わさずに奪ったという。そうした女優のひとりに金玉姫(キム・オクヒ)がいた。

正日は、金日成に「結婚したい」と申し出たが、「女優はふさわしくない」という理由で反対された。しかも、玉姫は結核を患っていたことも結婚を認めない理由とされた。だが、正日は玉姫を忘れられず、別荘に呼んでは密会を重ね関係を持ち続けた。

そのうち正日が成蕙琳に夢中になると、玉姫はあっさり捨てられるが、正男を生んだ蕙琳にとって、正日との出会いは不幸の始まりだった。略奪結婚したあとは、亡命同然で移り住んだモスクワで客死している。現在、彼女の姉である成蕙琅(ソン・ヘラン)ら親族は、ジュネーブなどオーストリアやスイスに散在していたが、現在の動静は不明だ。暗殺された正男が生前、頻繁に欧州を訪ねていたのは、母親の面影を求めてのものだ。父親の因果が息子にも伝播しているというわけだろうか。

正男は不倫の子として産まれ、さらに日本で言う“認知”もされず、母の身分は愛人にすぎなかった。最後は弟が下した命令によって非業の死を遂げることとなった。

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(C)Lee von Gynz-Guethle / Shutterstock

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