え?銅閣寺ってあるの!?実は金閣寺と銀閣寺の他に京都に存在する「銅閣寺」

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え?銅閣寺ってあるの!?実は金閣寺と銀閣寺の他に京都に存在する「銅閣寺」

京都の定番観光スポット・金閣寺と銀閣寺

古都・京都の観光名所は数多くありますが、その中でも定番のスポットと言えば「金閣寺」「銀閣寺」。「両方とも修学旅行で行った!」という方も多いのではないでしょうか。

江戸時代以降はまるでセットのように並び称せられているこの2つの建物は、正式名称は金閣寺が「北山殿鹿苑寺(ろくおんじ)」銀閣寺が「東山慈照寺(じしょうじ)」です。場所も近くではなく、北山地区にある金閣寺と東山地区の銀閣寺の距離は7キロ程度と、そこそこ離れています。

金閣寺は、室町幕府の3代将軍・足利義満によって建てられました。この時代は室町幕府の全盛期で、それを表すかのように金閣の2階と3階の内外面には金箔が貼り巡らされ、貴族の邸宅などで知られる寝殿造りが採り入れられるなど、実に豪華な外観をしています。

また外観だけでなく、ここには政治中枢が集約され、御所にも匹敵する規模でした。将軍職から退いた義満の隠栖生活のための邸宅とはいえ、事実上の実権は義満が変わらず持ち続けていたことが分かります。

一方銀閣寺は、文明14(1482)年に、室町幕府の8代将軍・足利義政によって、金閣にならって建立されました。義政の時代は、祖父である義満の時代と比べると、足利幕府の力は弱まっていました。

応仁の乱の直後で幕府が財政的に苦しかったからとも、また当時流行の東山文化が質素で品のある「わびさび」の文化だったためその影響を受けたとも言われていますが、いずれにせよ銀閣の外壁には銀箔が貼り巡らされることはなく、また平成19(2007)年の調査によって「創建当初から銀箔が貼られていた形跡もない」と判明しています。

金・銀ときたのに・・・銅閣寺はないの…?あった!

さて、ここまで見てきて「金と銀があるのに、銅はないの?」と、不思議に思った方はいらっしゃいませんか?
実は筆者が小学校の授業で金閣・銀閣を勉強した時に、クラスメートの1人も「先生、銅閣寺はないんですか!?」と叫んでいました。

オリンピックのメダルの色も「金・銀・銅」ですし、これは非常に気になる所ですよね?

実は2016年5月20日に、日本テレビのクイズ番組で「金閣・銀閣だけでなく銅閣寺も存在する?」という出題がされたのですが、その答えは「存在しない」でした。ところがその後、Twitterには「銅閣寺も存在する!」という視聴者による反論が書き込まれ、あわやプチ炎上状態になったとのこと。

視聴者が「実際は存在する!」と主張した「銅閣寺」は、京都市東山区の八坂神社の近くにある、大雲院というお寺の「祇園閣」の通称です。

このお寺はあの織田信長の息子・信忠の菩提寺として建てられ、数回の移転を経て1972年に現在の場所へ移されました。金閣寺・銀閣寺のように有名になっていない理由としては、このお寺の門の前には柵があり、基本的には非公開とされているからです。

一般公開される機会もないわけではないのですが、境内の内部は撮影禁止とされていることもあり、あまり情報が出回ってはいません。

さて、2020年は東京オリンピックです。日本へやってくる世界中の皆さんも、観光名所として名高い金閣寺・銀閣寺だけでなく、もしかしたら「銅閣寺」もセットで注目してくださるかも知れませんね!

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