戦後昭和30年代「戦争美化ブーム」を巻き起こした少年漫画誌

まいじつ

戦後昭和30年代「戦争美化ブーム」を巻き起こした少年漫画誌

1941年の12月8日、日本海軍が真珠湾を奇襲。太平洋戦争が始まった。

毎年、8月15日の『終戦記念日』の近辺は戦争の悲惨さがテレビ番組などで取り上げられる。日本が二度と戦争にかじを切らぬよう、戦争を始めることの恐ろしさがクローズアップされすぎるということはない。なぜなら、戦争は美化されやすいからだ。

美化といえば、戦争の記憶も風化し始めた昭和30年代なかごろ、少年漫画雑誌を舞台に突然の戦記ブームが起きたことがあった。

「戦時中の雑誌か!?」と思わせるほどの軍国主義的記事のオンパレードに、戦争未体験の子供たちは「こんなすごい兵器が日本に存在したのか!」と、その魅力を再発見した。

当時、最も戦記企画に力を入れていた『少年画報』の戦車特集号。折り込み口絵は巨匠・小松崎茂が描く日本の戦車大編隊だ。

怒濤の連合艦隊大特集。図解、文章、写真で徹底解説。颯爽と進む戦艦『霧島』を描くはもちろん小松崎茂。

戦闘機というと『零戦』の紹介が多いが、『飛燕』や『隼』など陸軍戦闘機を特集した渋い号。小松崎の巻頭口絵も飛燕が主役だ。

『0戦太郎』、『紫電改のタカ』、『ゼロ戦レッド』などの戦記漫画、戦艦大和、九七式中戦車…人気兵器がズラッと並んだプラモデルの広告、そして大迫力の戦闘場面を描いたグラビア…。

昭和37年をピークに30年代後半の少年漫画雑誌は戦争色が濃厚だった。軍国少年に育ってしまうのではないかと親はさぞかし心配だったろう。

平和な時代になぜ、戦記ブームが起きたのか? 子供たちが兵器のかっこよさに憧れたのは言うまでもないが、忘れてはならないのが送り手の視座だ。当時、雑誌を編集していたのは戦中派。敗戦の悔しさやルサンチマンな思いを雑誌にぶつけて発散していたかもしれない。

昭和戦記ブームの渦中に育った子供がいま、政治の中枢にいる。いつか彼らが戦争を美化して語り始めるかもしれない。

われわれは注意深く彼らの行動を見守る必要があるだろう。

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