甦る「アイドルグループ」黄金伝説(5)<直撃3>「アパッチ」亜湖 (1/2ページ)
不思議なグループだった。結成より先に曲があり、オリジナルのヒット曲はなかったが、コアな人気を誇った。それが3人組の「アパッチ」で、センターにいた亜子(59)=現在は亜湖=がアイドル時代を回顧する。
──デビュー曲は「ソウルこれっきりですか」(76年)で、これは日本の歌謡曲史に初めて登場したメドレーソング。76年にヒットした山口百恵の「横須賀ストーリー」や、都はるみの「北の宿から」など13曲をディスコ調にアレンジし、オリコン2位の大ヒット。
亜湖 そうなんですけど、それはマイナー・チューニング・バンドというスタジオミュージシャンの方々なんです。曲が予想以上に売れたので、テレビで歌って踊る用に呼ばれたのが私たちなんです。
──それまでは、どんな活動を?
亜湖 日本テレビ音楽学院の生徒で、そこから選ばれた3人が「アパッチ」になったんです。たった2週間で歌も振付も覚えて、何が何だかよくわからないままのデビューでした。
──突然の表舞台に出た感覚はいかがでした?
亜湖 それまでは3人で「日本テレビ音楽祭」などでプラカードを持っている陰の存在だったわけですよ。それがレコードも出すし、レギュラーも「8時だョ!全員集合」(TBS系)など人気番組ばかりで、すごく戸惑いました。
──あの「全員集合」にも出ていた?
亜湖 はい、キャンディーズさんと一緒に体操コーナーにも。私たちは3人とも160センチ以上あって、キャンディーズは小柄だったんです。なので、2組が並ぶと“大女”みたいに思われてました(笑)。
──そして77年には「恋のブロックサイン」で正式にレコードデビュー。新人レースの同期としては榊原郁恵、高田みづえ、太川陽介、清水健太郎と、なかなかドラマチックなメンバー。
亜湖 それと、今は引田天功として活躍している朝風まりちゃんも同期。先日、私がやっているラジオにも来てくれて「まりちゃんって呼ばれるのは懐かしい」って言ってました(笑)。