【皿屋敷伝説】虐げられたことが原因で自ら命を絶ったお菊と現代の自殺問題 (2/7ページ)

心に残る家族葬

しかし清左衛門の妻は、「菊が直したのと違いますか」と冷たい眼差しで言う。菊は「さっきあの皿をおかみさんが…」と食い下がった。するとおかみさんは「主人に口答えするのか!」と喧嘩になった。
最終的に、菊に罪が負わされてしまった。悔しさのあまり、菊は井戸に飛び込んで死んでしまった。
それから毎晩、夜になると菊の幽霊が現れるようになった。「1枚、2枚、3枚…8枚、9枚…」と数えた後、泣き叫ぶのだ。
毎晩そのようなことが続くので、生前、菊と言い交わしていた三平と菊の母親は共に、四国八十八ヶ所の霊場巡りに旅立つことにした。巡礼を終えて播磨に渡った時、菊の母は亡くなってしまった。三平は播磨にとどまり、偶然にも菊という女性と所帯を持つことになった。
三平と菊は信心深く、暇さえあれば、お寺の説教を聞きに行っていた。そんなある日、本山からの高徳の僧が来られたというので、寺に行き、2人して話を聞いていた。すると突然、辺りが真っ暗になり、暴風雨になってしまった。
その雨が止んだ後、三平が周囲を見渡すと、菊の姿が見えない。最前まで菊が身につけていた着物一揃いだけが残されていた。三平が着物を取り上げると、着物の下から1枚の皿が現れた。何とそれは、菊が井戸に身を投げる羽目になった騒動の皿だったのだ。
三平は茫然としつつも、高徳の僧に一部始終を話した。そして改めて、亡くなった菊の回向(えこう)を頼んだ。
そして三平は因縁の皿をその寺に納めた。その後も三平は播州にとどまり、2度と筑前(ちくぜん。現・福岡県北部の博多湾側)に戻ることはなかった。

■お菊のお墓が建てられ、現在にいたるまでの経緯


長らく福岡史研究に携わった安川(1981)や、精神科医の伊藤篤の調査(2002)によると、「皿屋敷事件」が起こった碓井村石竹の豪農・清左衛門宅跡に住んだ、酒造業を営む松隈弥三郎が1902(明治35)年頃、蔵を建てることになった。その棟上げの日に、突然家が倒れる異変があった。

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