西郷どんの予習に!幕末の英雄・西郷隆盛の10の歩みを分かりやすく解説 [明治編]

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西郷どんの予習に!幕末の英雄・西郷隆盛の10の歩みを分かりやすく解説 [明治編]

前回の幕末編、戊辰戦争編に引き続き、西郷隆盛の歩み(行動)を10のポイントに絞ってとことん分かりやすく解説します。来年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の予習にもご活用ください。

前回まで

大河ドラマ 西郷どんの予習に!幕末の英雄・西郷隆盛の10の歩みを分かりやすく解説 [幕末編]

大河ドラマ 西郷どんの予習に!幕末の英雄・西郷隆盛の10の歩みを分かりやすく解説 [戊辰戦争編]

⑨ 征韓論を提唱

明治維新後、正三位の地位になっても西郷は家も身なりも質素なまま暮らします。その姿は、政権を握ってからみるみる贅沢になった他の政治家への無言の抵抗であり、新政権に不満を募らせる士族たちにとっては希望の星でした。

芳年「やまと新聞 第四百十四号附録 やまと新聞附録 第十七 近世人物誌」国会図書館蔵

この頃に西郷が考えた「征韓論」は、国交を拒絶し鎖国状態の朝鮮を開国させ、ゆくゆくは清(中国)、日本、朝鮮のアジア三国同盟を結んで欧米列強に対抗するというものでした。

そのための第一歩として、西郷はまず自分が使節となり朝鮮へ行って話し合うと主張しました。当時の朝鮮は、急激な文明開化を進める日本に不信感を募らせており、西郷が単身乗り込んでいけば場合によっては殺害される事も考えられました。もし殺害された場合も、自分の死を大義名分として士族を出兵すれば、不満が募る彼らの功名心も満たす事ができ、一石二鳥だと西郷は考えていたのです。

しかし、岩倉使節団として世界を見てきた岩倉具視らは「朝鮮に武力介入をすれば親玉の清や欧米諸国が黙っているわけがない。日本は袋叩きになって亡びる」と主張し、ほぼ決定していた西郷の朝鮮派遣を中止させます。

楊洲斎周延「征韓論之図 」出典元:国会図書館

もっとも、岩倉の主張は的を射ており、征韓論は世界情勢に精通していない西郷だからこそ主張できた論とも言えました。こうして明治6年、征韓論で敗れた西郷は明治政府に辞表を提出し鹿児島に帰るのです。

⑩士族の不満の受け皿となり担がれた西南戦争

明治6年に下野して鹿児島に帰った西郷は、士族のための私学校を創設。西郷自身にはもはや私心や野望はなく、不平士族の若者たちを教育することで統率し、暴発を抑制する事のみを考えていました。

私学校跡 出典元:Wikipedia

しかし西郷の思いとは裏腹に、明治10年、私学校の生徒が暴発。西郷は周囲に集まった血気盛んな士族たちに担がれ、ついに西南戦争に踏み切ったのです。

芳年「鹿児嶋県暴徒高橋并川尻戦争ノ図」国会図書館蔵

半年余りの戦いののち、鹿児島の城山の地で西郷は自決。介錯の別府晋介に向けた「もうここらで、よか」という言葉は今なお語り継がれています。

参考文献:

東京都歴史教育委員会「一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新」 江戸文化歴史検定協会「疾走!幕末・維新 新選組結成から戊辰戦争まで」 学習研究社「図説 幕末戊辰西南戦争」 あべまき/石黒宏親「マンガ 幕末は『論争』でわかる」

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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