彼が死ぬまでやろうって決めたこと。山田裕貴インタビュー (2/4ページ)

マイナビウーマン

家だと父が王様だからめっちゃ静かにしてた分、みんなが笑ってくれる感覚が素直にうれしかったんです。学校に行けば、友だちが『山ちゃん、おもしろいね』って言ってくれて『あ、俺おもしろいんだ』って気づいた。人前に出ることが楽しいと思えた瞬間でした」

もちろん、父親や家族と過ごしてきた時間にだって役者としてのルーツはある。

「父親や家族との思い出と言えば、テレビや映画を一緒に見ることでした。そこで『じゃあ、俺はここに出る人になろう』って思ったのがはじまり。そのときは、テレビに出る回数なら親父を越えられるんじゃないかって根拠のない自信を持っていたんです。僕の役者人生はそこから。この道を目指したいちばん大きなきっかけですね」

高校を卒業した彼は名古屋から上京し、芝居の勉強をするため養成所に入ることになった。ただし、そこに入ったからといって全員がデビューできるとは限らない。その厳しさは、当時を「首の皮一枚で繋がっているような状況だった」と振り返るほど。役者になれる保証なんてない。芝居の世界で生きていく決断に迷いはなかったのか。

「もうないんすよ。僕にはお芝居以外にやれることが。『HUNTER×HUNTER』のワンシーンじゃないけど、同じように『もうこれで終わってもいい』と思えるほどの決意だった。『俺にはこれしかない』ってくらい死ぬ気になると、人間は目の前のことしか考えられなくなるんです。だからこそ、迷いなくお芝居にはのめり込めたし、熱くなった。悔しさだって覚えた。はじめてちゃんと心動いたのがこのお仕事でした」

帰り道、父と母が見送ってくれた、 18のときに見送ってもらったときは不安しかなくて 本当に生きていけるのか わからなかった。 覚悟を決めた。 でも、27になって ちょっとは戦えるようになって 今見送ってくれた 父と母の表情は 「お前なら出来る」という顔をしてくれていた気がする。ありがとう pic.twitter.com/O1NiNNWySj

— 山田裕貴 (@00_yuki_Y) 2017年12月6日

これしかないからこそ、決意は十分だった。でも、弱い気持ちがまったくなかったわけではない。

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