ゲームが好きで給与は穀物、障碍者に寛容だがダークな一面も。古代エジプトの市民たちに関する興味深い事実10

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ゲームが好きで給与は穀物、障碍者に寛容だがダークな一面も。古代エジプトの市民たちに関する興味深い事実10
ゲームが好きで給与は穀物、障碍者に寛容だがダークな一面も。古代エジプトの市民たちに関する興味深い事実10


 「古代エジプト」という言葉は私を魅了してやまない。ファラオ、黄金の埋葬品、ピラミッドはもちろん、猫を崇めていたり、パピルス文献に書かれた呪文であったり、宇宙人との関係性があったりなかったり。

 ロマンとミステリーが絡み合って妄想タイムが止まらないったらありゃしない。カラパイアでは折に触れ古代エジプトの情報を紹介しているが、当時の一般人というか市井の人々はどんな暮らしをしていたのであろうか?

 今回は古代エジプトの一般市民たちにスポットライトを当てて、その事実を見ていこう。

・10. ボードゲームが大好き

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 ピラミッドの石を積み上げるきつくて長い一日の労働が終わった後で、古代エジプト人たちは娯楽を必要とした。とくにボードゲームが人気だった。ふたりでも数人でも、ボードがなくても、地面に絵を描いて遊んでいたのだ。

 特に人気のゲームはセネト。10列30個の四角のマス目があって、いくつかに幸運と悪運のシンボルがついている。そこはやはりエジプト人で、死後の世界に入る場面で、勝者は先にポーンを動かして、悪運のマス目を避けることができる。

 セネトは神と深く結びついている。勝者は神に守られていると言われ、ボードにはたいてい死後の世界に移動する間に死者を守る墓もある。

 アセブには20のマス目があって、ホームのブロックからひとつのコマを解放するのに、サイコロの4か6が必要になる。もし、コマが敵のもっているマス目に進むと、そのコマはホームへ逆戻りで使えない。

 メーヘンは、とぐろを巻いたヘビのボードでライオンのコマを使ってプレイし、ハウンズ・アンド・ジャッカルズは、イヌの頭がついた10本の棒を使うゲームだが、両方ともそのルールはわかっていない。レーシングゲームのようなものではないかと考えられている。
References:webcache


・9. ユーモアをこっそりしのびこませた芸術家たち

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 エジプト人のアートは、カラフルなピエロのようなおどけたイメージで知られているわけではないが、だからといって、この古代の芸術家たちがユーモアのセンスをもっていなかったわけではない。

 彼らは作品の中で、さりげなくこっそりと、いや、ときにはわざとはっきりわかるように、パトロンや外国人を揶揄していた。

 紀元前2000年頃のテーベでは、墓の壁に当の死者の姿が描かれた。ファラオの高官だったダギは重要人物で、その墓にはさぞや高貴な顔が描かれているかと思いきや、その表情はまるで自分が死んだことに驚いているかのように眉を上げ、消沈したような様子だ。

 紀元前1389年~1349年のアメンホテプ三世の時代の彫刻には、筆記者やヒヒがよく見られる。ヒヒは書の神トトと関連していて、コミカルなもじゃもじゃの眉をしている。芸術家たちはエジプトの敵対者に対しても、皮肉を連発していた。

 象牙の石板には、目をむいておかしな格好でやってくるアッシリアの捕虜の王子が描かれている。ヌビア人との緊張もあったため、彼らのいまひとつな顔の特徴を誇張して描いたアーティストもいたようだ。
References:factsanddetails


・8. 絵師や彫刻家たちは異様なほど関節炎もちだった

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 およそ3500年前のディール・エル=メディナの村は、王家の墓地で働く彫刻師や絵師など職人たちの住まいだったが、その墓から出てきた遺体が少々妙だった。

 長年、芸術の創作にたずさわっているとたいてい、上半身に問題が出てくることが多いが、ここの遺体のくるぶしや膝には骨関節炎がよく見られた。村の古い記録を調べてみると、その原因がわかった。

 共同墓地で絵を描く仕事は重労働だったが、これが彼らの骨の異常を引き起こしたのではなく、日々仕事場に向かう"通勤"のせいだったのだ。

 墓に絵を刻む作業をしている間は、彼らは王家の墓の近くの小屋に住み、短い距離だが険しい丘を登って仕事に向かい、仕事が終わると同じ道のりを歩いて帰ってきた。週末には、ディール・エル・=メディナまでおよそ2キロの道のりを丘を越えて歩き、週明けには再び現場に戻るという生活だった。

 こんな生活が数年続き、人によっては何十年も続いた。このハイキングが、この職業にはあまり見られない、職人たちの足の関節炎を悪化させたと考えらえる。
References:sciencemag


・7. 階級によって食べ物のメニューが決まっていた

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 古代エジプト人たちがなにを食べていたかについての本がちゃんと書かれたことはおそらくないだろう。レシピも残っていないが、残されたアートや歴史から突き止めることはできる。

 あらゆる階級で食べられていた食材はいくつかあるが、一般人は調理に携わることは許されていなかった。魚を保存処理するのは、司祭の仕事と限定されていた。

 ただ、家系や育ちには関係なく、国家の主食であるビールとパンは、あらゆる国民の口に入っていた。水で発酵させて濁った醸造物を作り出すビールブレッドというものが、下層階級の栄養源になっていた。おかゆのような穀物系の食事に加えて、狩猟肉、ハチミツ、デーツ(ナツメヤシ)、フルーツ、山菜などもあった。

 労働者の食事は一日2回だけだった。朝食にはパン、ビール、ときにオニオン。夕食はもう少しいいものが期待でき、主食のほかに、野菜や肉料理が食べられた。

 貴族は毎食、野菜、肉、穀物、ワイン、乳製品を食べることができた。聖職者と王室は最高のごちそうを提供されていた。墓に描かれた絵には、あふれるほどのワイン、ハチミツをたっぷり塗ったガゼルの肉、鶏のロースト、フルーツ、デザートにはハニーケーキが並ぶ晩餐の様子が描かれている。
References:hungry-history


・6. 深刻な歯の病気があった

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 エジプト人たちはエナメル質を損なわれることはなかったが、食べ物から砂を取り除くことができなかったため、歯に大きな問題を抱えていた。

 古代エジプト人の歯4800本を調べたところ、実に90%がすり減っていた。こうした摩耗によって歯髄の組織がむき出しになってしまっていたのだ。これは膿傷や顎関節症などのほかの病気につながった。

 言うまでもなく、慢性的な歯痛も古代エジプトでは日常茶飯事だったに違いない。繊維質いっぱいの食事でも助けにはならず、おもな原因は砂だった。

 風に混じって飛んできた砂は穀物と一緒に収穫され、少々の砂岩粉砕ツールも役に立たずに除去されないまま、最終的にそれがパンとなって、日々人々の口に入った。

 結果的に、古代エジプト人は石英、雲母、長石やホルンブレンド、その他の岩の粒子を噛むことになった。

 エジプト人はきれい好きで知られていたにもかかわらず、この複合社会が口腔衛生を行っていた証拠はない。たくさんの洗面道具の中にも、デンタルツールに似たものはなにも見つかっていない。
References:nature
関連記事:古代エジプトの医学力すごい!革新的な10の衛生学


・5. 給与は穀物

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 古代エジプトの通貨制度は完全にはわかっていない。昔は通貨のようなものはなく、物々交換がベースだったと考えられていた。だが、この考えは物を交換している絵から推測したにすぎない。

 確かに交易はあったが、それだけでは巨大なこの王国の商業システムを支えられなかったはずだ。豊富な物資は、大規模に栽培できる穀物だった。余剰穀類はエジプトじゅうに網の目のように広がるサイロで保存し、おもな公共プロジェクトに従事した労働者への賃金として支給された。

 だが、もし家を買いたかったらどうなるのだろう? 
 穀物ひと袋ではどうしようもない。

 古代エジプト人は、"シャット"と呼ばれる価値単位で働いていた。これはいったいなんなのか、まだ専門家にもはっきりわかっていないが、このシャットの売値と同等分を持っていれば、衣類や家具などと同じように家も買うことができたようだ。この通貨基準は、紀元前2750年~2150年の古代帝国時代に存在していた。1シャットは7.5グラムの金の価値に相当すると言われている。
References:nbbmuseum

・4. 結婚して子どもをたくさん作ることが推奨された

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 男性は結婚して、子供をたくさんつくることを奨励された。女性は十代前半で結婚するのが一般的で、恋愛結婚はあったものの、基本的に結婚は関わっている全員がユニットとして生きていけるようにするための支援だった。

 高齢者や貧困者、保障だけを受けて暮らしている家族には福祉援助はなかった。男性は稼ぎ手になって妻を娶るまでは半人前とみなされた。

 壁画はたいてい、男性は戸外での仕事で黒く日焼けして、女性は家事をきりもりするためか白く描かれている。

 古代エジプトでは、女性の出産率は高かったが、常に分娩の危険と隣り合わせだった。効果的な避妊法はなく、産婆も危険な分娩ではなす術がなかった。

 それでも赤ん坊はかわいがられ、3歳まで乳を与えられていた。女のきょうだいが子供の世話や料理、裁縫などを習う一方、男の子は取引の仕方を学んだ。

 男女とも、両親から世間のこと、宗教、倫理を教えられた。長男もしくは長女が、年老いた両親を世話し、看取ることが期待されていた。
References:historyextra


・3. 女性は法的に平等だった

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 エジプトの女性たちは、単なる家庭の主婦として限定されていたわけではない。彼女たちは家事もこなしつつ、自由に外へ働きに出て、ちゃんと自分の財産を持っていた。

 古代ギリシャの女性たち(ギリシャ市民としてみなされてもいなかった)とは違って、古代エジプトの女性たちは男の庇護なしで生きることができたのだ。

 女性たちは、離婚訴訟を起こして裁判所へ出向いたり、陪審員としても活躍した。見合い結婚を強要されることもなく、法的書類をまとめたり、キャリアを追うこともできた。そうはいっても、専門職の高い地位の大多数は男で占められていた。

 このガラスの天井を破って、徳の高い聖職者や書記、ファラオになることができた女性はほんのわずかだった。

 女医もまた尊敬の対象になった。ペゼシェットという名の女医は、"医師の監督官"の称号を得ていた。女性の開業医の最古の記録は、5000年前にエジプトにいたメリト・プタハという人物だった。本質的に、西洋ではなくエジプトが女性に公的な権限を与えた最初の地だったのだ。
References:ancient


・2. 心身の不自由な人に寛容な社会

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 古代の世界では、体が不自由な人たちは女性よりも粗末な扱いを受けていた。ギリシャでも、家族から捨てられて路頭に迷うのが常だった。

 古代エジプトも例外ではなかったはずだが、一般庶民や医師はこうした人たちに対して、概して寛容だったようだ。彼らの道徳書は、身体の不自由という試練をもつ人たちを敬うよう教えている。

 小人症の人は障害者とはみなされなかった。彼らは仕事に就けない不自由さを怖れることなく、侍者、監督者、管理人、芸術家、エンターテイナーとして自由に働いていた。

ディール・エル=メディナの村から発掘された遺骨の中に、若い男性がいた。彼は生まれつき足が効かず、みんなと一緒に遠距離を歩くことはできなかった。そんな彼が社会から締め出されることなく、足が効かなくても十分に暮らしていかれることを自ら示してみせ、彼の不自由な状況にうまくマッチした条件で雇用されたのだ。

 精神障害に関しても、古代エジプト人は現代の治療法にもっとも近かったと言えるかもしれない。患者を非難し、辱しめるのではなく、創造的な仕事に従事するよう勇気づけられていた。
References:stanford


・1. 女性や子どもへの暴力もあった

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 描かれている多くの絵や彫刻は、パートナーや子どもとの幸せな家庭のシーンを表わしていて、理想的な家族の概念や法的平等は、古代エジプトのひとつの特徴になっている。だが、女性や子どもへの暴力も現実にはあった。

 恐ろしいケースが記録に残っている。ダクラ・オアシスで、背中、骨盤、肋骨、腕を砕かれた2000年前の幼児の遺骨が見つかった。古い傷跡が残る骨もあり、この幼児が長期的に肉体的な虐待を受けていたことがわかる。両腕は、おとなに激しく揺さぶられたかのように折れていて、折れた首の骨には、治癒した跡はなく、最終的に殺されてしまった悲惨なケースだった可能性がある。

 古代アビドスの町では、4000年前の犠牲者の遺体が発見されている。35歳くらいの女性で、後ろから刺されて絶命したようだ。骨を調べると、生前から肉体的に暴力を加えられていたことがわかった。

 骨の損傷跡は古いものも新しいものもあって、肋骨を繰り返し蹴られたり、殴られたりした痕跡と一致する。手にも傷があり、攻撃から身を守ろうとした防御創だろう。襲撃者は長いこと彼女の身近にいた人間で、男の家族、もしくは夫だと思われる。
References:discovermagazine All/ translated by konohazuku / edited by parumo
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