北朝鮮 金王朝三代 知られざるSEXヒストリー (3/5ページ)

週刊実話


 「正日は、物色した女優の1人に夢中になり、父親である日成に『結婚したい』と懇願しましたが、『女優はふさわしくない』という理由で反対されてしまいます。しかし、正日はその女性を忘れられず、別荘に呼んでは密会を重ね、関係を持ち続けました。そうした中で出会ったのが、やはり女優の成恵琳です。当時の正日は党宣伝扇動部の副部長でしたが、まじめに仕事などせず、映画撮影所に入り浸っては女優をあさるのに夢中でした」(北朝鮮に詳しいジャーナリスト)
 年上の子持ちの“熟れた女”を見初めた正日は、'69年に同棲を始める。この略奪婚は成恵琳33歳、正日が28歳のときだ。まるで日活ロマンポルノ風だが、実話である。

 折しも長男・正男の存在を父親の日成には隠すことができたが、正日にとっては間の悪いことに結婚話が進行中だった。日成は30歳をすぎても放蕩の限りを尽くす正日を落ち着かせようと、ふさわしい相手を探していた。
 こうして、父親に勧められるまま結婚したのが、金日成執務室でタイピストをしていた金英淑である。不倫の子を産み、さらに認知もされず、身分は愛人にすぎない恵琳は、正式な夫人の出現に精神を病むようになる。正日は'73年秋、モスクワのクレムリン病院に彼女を緊急避難させた。
 一方、英淑の生年は諸説あって定かではないが、北朝鮮では最上級の成分(身分)である革命家の次女で、金日成総合大学を出た後は党宣伝扇動部に所属していたエリートであることははっきりしている。

 正日と英淑は日成の“唯一後継者”が極秘決定された'72年12月前後に結婚したといわれる。ファーストレディーの地位を約束された正妻でもある英淑は、平壌市の普通江区域西将洞にある西将洞官邸で暮らすようになった。この地名から、他の“つまみ食い女”と区別するために「西将洞の女」と呼ばれた。
 英淑の長女・雪松は、晩年に糖尿病の合併症が深刻化した正日に寄り添う姿が確認されている。軍や党に父の名代として命令を下す権力を持っていただけに、正恩政権確立直後は、彼女なしに北朝鮮の内政は機能しなかったことは想像に難くない。

 英淑は親が勝手に決めた相手だけに、容貌などは正日好みではなかった。
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