玉木正之のスポーツ内憂内患「貴乃花親方の『改革』は伝統文化の破壊に映る」 (1/2ページ)
「日馬富士暴行事件」で表面化した「横綱白鵬vs貴乃花親方」の対立の構図は、モンゴルと日本の文化の違いもあり、相当わかりにくいものになってきた。『WiLL 月刊ウィル』(ワック)の2月号に、東洋史家の宮脇淳子さんが「モンゴル力士はなぜ嫌われるのか」というタイトルで興味深い文章を書かれている。
〈貴乃花親方は「モンゴル互助会」が大嫌いなそうだ。しかし、モンゴルにはもともと、仲間をつくってつるむというような習慣はない。モンゴル人は日本人にくらべたらはるかに個人主義であり、実力主義である。貴乃花の好きな「ガチンコ」は、本来モンゴル人の特質だったのではないかと思う。(略)モンゴル力士の互助会が存在するとしたら、それは(略)閉鎖的な日本社会に対抗するため、やむを得ずまとまる必要があったからではないか〉
なるほど。かつて「大関互助会」が存在したように、助け合いの文化は、本来日本のものなのだ。
かつては千秋楽を7勝7敗で迎えた力士は、必ず勝つもの(勝たせてもらえるもの)というのが常識で、観客も、それを承知で土俵を見たものだった。が、いつの頃からか「それはオカシイ」という声が高まり、「八百長は存在しない」というのが建前の相撲協会も、「無気力相撲」を排除する姿勢を打ち出した。
アメリカの経済学者までが、「ヤバイ経済学」という本のなかで、7勝7敗力士の勝率が高すぎるなどと、わかりきった指摘を、さも鬼の首を取ったかのように書いて見せた。まったく野暮な話である。
拵え相撲を認めるわけではなく、7勝7敗の力士が千秋楽に勝ち越す相撲は、他のどんなガチンコ相撲よりも、観客の誰もがハラハラドキドキ興奮する内容にするべきだ。プロならそのくらいのことはできるはず。それをやってこそプロのはず‥‥などと書くと、また野暮な御仁から、「オマエは八百長を認めるのか!?」などと叱られそうだ。
しかし年間6場所、何度も同じ相手と対戦する大相撲は、公正なスポーツの試合方式とは言えず、互助会(日本的助け合い組織)を生むのを容認しているシステムとも言える。