平安時代には既に原型が。ドラマ「わろてんか」で注目、漫才の歴史 [中世~近世編] (2/3ページ)

Japaaan

明るく楽しく正月を盛り上げる万歳コンビは、正月の風物詩でした。室町時代には、なんと公家の邸宅や禁裏にまで参上しています。やんごとなき人々の前で万歳を披露したのです。公家の日記などに、その記録がしっかり残っていました。

京都で盛んだった万歳が、戦国時代の終わり頃から全国に広まるようになります。尾張、三河、伊勢、伊予、加賀、越前。さらに東北の会津、仙台、秋田、盛岡まで。それぞれが各地で独自の進化を遂げていきます。

江戸時代に入っても万歳の人気は衰えず、お江戸の正月に欠かせないものになりました。これらの多くは、三河や尾張から出張してきた万歳師によって演じられたものです。徳川家と繋がりが深い三河万歳は、大名屋敷にも参上しました。三河に限らず、大名や武家に可愛がられた万歳師もいたようです。

存続の危機!?時代の変化の中で万歳は…

「みんな大好き、正月の万歳」状態が長く続きました。

ところが明治維新によって、万歳を取り巻く環境も変化していくことになります。近代化を推し進める明治新政府は、祝福芸を含む民間信仰を否定したのです。万歳も、そのひとつに数えられました。

とはいえ、ここで万歳が消えることはありませんでした。民家を訪ねる門付け万歳はしぶとく残ります。

昭和の初めまで東京で見られたと言いますし、終戦後も地方では1970年代頃まで残り続けました。しかしそれも姿を消していきます。高度経済成長期を経て、日本人の生活が大きく変化したことが影響したのでしょう。

それでもなお、万歳は消滅しません。万歳が盛んだった地域では、現在も伝統芸能や民俗芸能として保存されているのです。平安時代から現代まで、およそ900年。万歳は実に息の長い芸能なのです。

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