天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 宇野宗佑・千代夫人(上) (1/2ページ)

週刊実話

 戦後歴代総理夫人の中で、本来なら晴れやかな日々であろうその夫の総理在任中、最も苦渋と忍従をよぎなくされたのが、宇野宗佑の妻・千代であった。

 1989年という年は、1月7日に昭和天皇が崩御、元号が「昭和」から「平成」と改められて始まった。時の首相・竹下登はリクルート事件に関与したことの責任を取る形で、平成元年度予算案成立との“引き替え”を条件に、4月25日、退陣を表明した。後継の自民党総裁には、当時、清廉、気骨が持ち味だった元外相の伊東正義が本命視されたが、折から伊東は体調を崩していたこともあって、「(自民党は)本の表紙を変えても中身が変わらなくては国民から相手にされなくなる」と、“会津っぽ”らしい一徹さでこれを固辞した。
 当時の安倍晋太郎(安倍晋三首相の父)、宮沢喜一といった有力後継候補もリクルート株の譲渡を受けていたため“圏外”となり、結局、竹下内閣の外務大臣で中曽根(康弘)派幹部だった宇野に“お鉢”が回ってきたということだった。宇野は中曽根派にあっても「親竹下」色が強かったことから、退陣後の影響力を考えた竹下の推輓を得たということであった。

 さて、言うなら「緊急避難」で登場した宇野総裁ではあったが、正式に首相就任した直後、毎日新聞に神楽坂芸者との関係をスッパ抜かれた。この問題はあらゆるメディアの格好の標的となり、芸者を口説いた際、3本指を出し、「(月々の手当ては)これでどうだ」とやったなど、あらゆる角度からの“攻撃”を受けたのだった。指3本は「30万円」を指し、神楽坂の売れっ子芸者を口説くにはなんとも安かろう、「宇野はケチである」などとも言われたものだった。
 このスキャンダルが尾を引く中、自民党には7月23日投開票の参院選が待っており、案の定と言うべきか、「リクルート事件」「消費税の導入」「農産物自由化」の“逆風3点セット”も加わり、参院選を大敗。宇野はこの選挙の敗北責任を取らされる形で、選挙直後に慌ただしくも退陣を余儀なくされた。首相在任わずか69日、戦後3番目の「超短命内閣」で終わったのだった。

 さて、夫の女性スキャンダルで「針のムシロ」に座らされたのは、「ファースト・レディー」たる千代であった。

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